クラシックというナチ

ニュルンベルグ戦犯法廷でベルリンフィルの指揮者のフルトベングラーは有罪となり、その後弟子のユダヤ人の除名嘆願で釈放されたが音楽界を追われた。そのベルリン・フィルの後任指揮者が元ナチ党員のカラヤン。クラシックにナチの遺伝子が存続している証拠。赤坂にあるサントリーホールの設計にカラヤンが関与したことから、アークヒルズにはカラヤン広場がある。カラヤンはゲイとしても有名で、史上初めて目をつぶって恰好つけて指揮をするカラヤンと組んでCDやビデオでクラシックをビジュアル化・大衆化して売りまくって大儲けして親しかったソニーの盛田会長はカラヤンがゲイであることを公言し「カラヤンはたくましい黒人男性歌手のハリー・ベラフォンテが好きでカラヤン所有のプライベートビーチでいつも二人でいちゃついていた」とマスコミで述べた。指揮者のすべて、クラシック界のすべての男がゲイといって過言でない。クラシック界はゲイの業界だと知らない人は素人。子供にクラシックをやらせるなら師弟関係で掘ったり掘られたりでゲイにさせられるのを親は覚悟するべき。古代ギリシア時代を理想化して模倣したクラシック界ではゲイや少年愛が奨励されてきた。ナチスドイツは「自分たちは古代ギリシア・ローマ帝国、神聖ローマ帝国の次に現れた第三帝国である」と自らに偽史をあてはめていたから(古代ギリシア人・古代ローマ人はそのずっと後に神聖ローマ帝国を名乗ったドイツ人とは民族が違う。ローマ帝国を滅ぼしてローマ人を追い出したのが、モンゴル系のフン族に追われて東欧から西ヨーロッパに侵入してきたゲルマン民族=今のドイツ人やヨーロッパ人の祖先)、ナチスはクラシック界と同様に同性愛や少年愛ばかりの集団だった。ただしヒトラー自身はゲイではなく糞尿愛好症であり、「長いナイフの夜」事件でゲイの幹部を全員粛正した。

生前の丸山眞男はほとんどクラシックコンサートには行かず、蒐集したフルトベングラーなどのSPレコードばかり聞いていた。クラシックファン=レコードファンなので、耳が肥えてくるともうコンサートに行かなくなる人が多い。しかしカラヤン以外の、フルトベングラーのもう一人の弟子のチェリビダッケの演奏会には来ていた。チェリビダッケはナチに迫害されたルーマニア人(=ローマニア・ロマニア。古代ローマ人の末裔ともロマと同じ民族ともいわれる)なので、ナチ派の頭目のカラヤンのライバルとされていた。

三軒茶屋の人見記念講堂で開かれたチェリビダッケのコンサートは、当時世界で最も著名なピアニストの一人、ミケランジェリとのコンチェルトだった。ミケランジェリは元レジスタンス(ナチに対抗して結成された地下軍事組織)の一員で、カトリックの聖人の末裔だそうだ。今思うとそういう反ナチのメンバーが集まっていたのかもしれない。戦前はカトリックはガス室送りになるユダヤ人をかくまったりしてナチに抵抗したが、今ではカトリックが小児性愛者教団でありナチだ。ナチと人種差別を積極的に肯定したルター派(聖書の翻訳者のドイツ人マルチン・ルターの宗派)の存在も大きい。(六本木のさくら坂公園の隣にルター派教会がある。南麻布のドイツ大使館隣で幼稚園を併設する麻布南部坂教会もドイツ系のカルバン派=長老派。ルターとカルバンは宗教改革の中心人物)

丸山眞男はフルトベングラーとクラシックの大ファンだがナチスやヒトラーのファンだったわけではない。芸人でドイツ人に人気があったフルトベングラーがナチに協力してドイツ音楽ををナチスの政治宣伝に利用した。チェリビダッケの演奏会にはやってきた眞男は、別にナチスが好きだったわけではないことを示している。フルトベングラーは一度も来日していないので眞男は一度もフルトベングラーの実物を見てないし生の演奏を聞いてない。眞男の著書に「一高の友人にドイツの日本大使館勤務になったのがいて、そいつにフルトベングラーについて聞いてみたら「フルトベングラー?指揮者のことか。俺は2回見たが別に何とも思わなかったぞ」と答えた」という一文がある。眞男は、レコードに音を歪曲美化されて収録され、マスコミや評論家に喧伝されたフルトベングラーの録音に、過大な妄想を抱いていた可能性が高い。俺の耳で聞いたレコードのフルトベングラーの音が同時代の指揮者の音より優れているとは絶対に思えない。マスコミや業界によるはなはだしい偶像化の結果にすぎないのではないか?

俺と中村恭己と坂繁巳の3人で丸山眞男と会ったとき、いつも話はほとんどクラシックの話ばかりで、政治や思想や社会や文学の話はまったくなかった。ピアノ教室の生徒として会っているのだから当然のことだ。みだりに微妙な政治問題など話す人物ではない。クラシックの話で眞男は「いやー若いころは「カラヤン聞けば夕べに死すも可」の心境でしたよ。」と冗談交じりに言った。俺は思わず笑ったが坂と中村はこの意味を理解できないでポカンとしていた。そのため眞男が俺にだけにこりとした。しかし俺が、金満ナルシストのカラヤンを褒め称える眞男に軽蔑まじりのまなざしを返すと、眞男はあわてて「いや!昔はああじゃなかったんだ!(引退した)フルトベングラーの音を持っていたんだ!」と必死にいった。無論「カラヤン聞けば夕べに死すも可」は孔子の論語の「朝に道(真理)を聞けば夕べに死すも可」朝に真理を知ることができれば夕方には死んでもいい)のパロディだ。(原文「子曰、朝聞ㇾ道夕死可矣」 )

眞男はクラシックおたくで、それほどフルトベングラーに憧れていたという意味だ。中卒の坂にも発達障害者でほとんど字が書けなかった中村恭己にもその意味はわからなかった。眞男は病院の死の床にまで携帯CDプレーヤーを持ち込んでクラシックを聴いていたというが、幼児的であり、おたくであり、死を前にした老人がするべきことではない。極楽に行けるというお経を聞くならわかるが、眞男は墓の戒名まで拒否した徹底したマルクス主義者の無神論者なので、キリスト教の聖書を読んだり十字架を握りしめることもなかった。

チェリビダッケのほかに、来日するたびに眞男が欠かさず行っていたコンサートは、ミケランジェリに並ぶ、いやそれ以上と評されたソ連の世界的著名ピアニストのリヒテルで、眞男は大ファンだった。眞男は「リヒテルの稀有な才能はソ連のアカデミーというシステム以外には発掘育成できなかった。ソ連のアカデミーは西側のそれよりはるかに優れている」とソ連を絶賛し、眞男が真正のマルクス主義者(信者)である事実を覗かせていた。

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