バカ愛子の親衛隊の東海大付属小1976年度卒業生の鼓笛隊の女子は、絶え間ない不快な音楽(映画「メロディ」のサントラのビージーズ。「若葉の頃」など)の送信やめろ。
バカ愛子の手下の若林功(父親が三井物産、母親は静岡市清水区の伊藤鉄工所・伊藤食品の社長の娘)は送信やめろ。清水駿府病院長池上直美(東海大医学部卒)が俺の体につけた脳情報(思考・視覚・聴覚)監視(盗聴)装置を外せ。知的労働の搾取とプライバシーの暴露と盗撮をやめろ。
若林功の会社、伊藤食品のHP。 清水隣保館保育園(松井町7-21)の隣。海抜0mで高潮ですぐ水没する地区。http://www.ito-foods.jp/company/
右から二番目のバカズラは飲み屋(大川食堂)でクラス1勉強ができなかった大川陽子。幸福の科学の大川と同化。
前を向いているのは当時から眞光の信者で生徒からだけでなく親たちからも嫌われていた鈴木喜久美。
前から二列目、右から3番目が、明治大副学長の牛尾奈緒美(旧姓中村)の実妹の中村仁美。成績は学年で最下位で、知的障害者として扱われていた。姉の奈緒美が仁美に往復ビンタしているのを見たことがある。中村の家業は中村塗装店で自宅は被差別部落地区の淡島町(入江南町)にあった。授業参観にやってきた中村の母親は飯場の女のように学校でも怒鳴り散らした。奈緒美は母親からのストレス(暴力)を妹の仁美に向けていた。殴られすぎてバカになったのだろうと俺は考えていた。