(丸山眞男、18歳、19歳)丸山眞男を語るうえで絶対に外せない経歴が、戦前に非合法だった共産党の唯物論研究会の会合に参加して逮捕されたこと。初めての留置場で涙したと「いのちの初夜」(丸山眞男著)に書いている。唯物論研究会は共産党労農派と対立した共産党講座派のことで、羽仁五郎(映画監督羽仁進の親=明星学園系)や長谷川如是閑が中心人物。少年の丸山眞男は父親を通じて著名ジャーナリストの長谷川と親密に交際し、最も影響を受けた人物だと眞男は述べている。長谷川は民衆がロマノフ王朝を打倒したロシア革命の影響で始まった日本の民主化運動「大正デモクラシー」の指導者でもあった。滝川事件は京大で左翼マルクス主義系の学者が右翼に弾圧され辞職させられた戦前の事件のこと。
(67歳)
丸山眞男は左翼過激派・日本赤軍の援助者の社会学者日高六郎の友人だった。その丸山が天皇制を礼賛する右翼であるなどということはありええず、真逆の立場。大学・学校はよくこれだけ嘘をつけるものと思う。東海大、慶応大、京大、東大、早稲田大、東洋英和女学院、青山学院、上智大、聖心女子大、双葉女学園、麻布高校、開成高校などは恥を知って欲しい。丸山は病弱でしょっちゅう入退院を繰り返していたことも特徴。それも肺だけでなく肝臓も痛めていた。丸山は原爆の2日後に広島に入った被爆者であり、原爆症によって各部の病気が止まらなくなっていたと理解している。安藤甚兵衛は東大の左翼活動家で社民党から立候補。在日朝鮮人の筑紫哲也は朝日ジャーナル編集長からニュースキャスター。西武百貨店・西友・国土開発の社長の堤清二(作家でもある)は共産党「細胞」から実業家へ転向した人物。日高六郎は、ナチの全体主義の本質がサディズム・マゾヒズムの支配・被支配の関係にあると、時代精神を活写したスイスの心理学者エーリッヒ・フロムの「自由からの闘争」の翻訳者。現実のナチ時代を生きた人物による名著だが、俺が中村に教えたので悪用して広めているはず。今後の日本ナチ化の教科書にしているはず。ナチの時代のドイツ人は、ナチというボス犬に、弱い犬のような国民が自ら尻を向けてマウンティングさせて安心を得るようなサディズム・マゾヒズムの関係にあった。マウンティングされたドイツ人は、もっと弱い犬のユダヤ人や有色人種(黒人・黄色人種・アジア・アフリカ人)にマウンティングするように排斥・差別して、上から向けられたストレスを発散した。
家永三郎は長く「教科書裁判」を戦ったことで有名な自由主義者の左翼学者。丸山家と親しかった。
(72歳)竹内好は毛沢東を賛美した中国文学者。眞男は徐兄弟・區健英・中国社会科学院など中国人・朝鮮人とその系団体とのつながりが強い。中曽根首相の軍拡に反対。
図書館に置かれた「丸山眞男集」の位置(最下段)。丸山がどういう評価を受けているかがわかる。別に大偉人の位置じゃない。整理番号は世界共通なのでどこの図書館でもこの位置。羽仁五郎の親戚の「羽仁もと子著作集」の下にある。羽仁もと子の親はキリスト教系私立の自由学園の創立者。