きょうお盆だが、本当は旧暦に合わせて8月にやるのがふさわしいが、東京では7月の盆が多いので、用意していた迎え火をすることにした。盆には俺んちの先祖供養だけじゃなく、施餓鬼(迷える他人の霊や動物霊に対する供養)の意味もあるので、亡くなったたくさんのペットの猫たちの供養もあるし、赤穂義士の処刑のことを書いちゃったりもしたので、きょうやるのがふさわしいかと。
で、さっき、盆ゴザを敷いて牛馬の乗物を置き、食物を供えて、オガラと線香を焚いて読経した。火をつけるのは、盆に還ってくるとされる肉親の霊や先祖霊が迷わないよう、目印にするため。足をつけたキュウリの馬と牛は、霊の乗物だと信じられているため。供えた食物はとうもろこしと果物。「一切の餓鬼に施し膨満させる」ため食品を備えることが重要。盆棚の供え方に、南アジア的な広がりを感じる。はっきりいって霊など信じてないが、季節感のある日本の伝統的な風習として、絶やすのはおしいこと。
(創価と警察とどっかの法王が俺のことをイスラム教徒といってるようなので、あえてこれを公開した。俺は無論創価学会信者じゃない。創価学会員は読経ができない。迎え火もやらない。創価学会は池田教であって仏教ではない。仏像に手を合わせたり読経したり仏教行事をすると、俺のことを創価学会員だとデマを流す、フリーメーソンの反日創価警察とマスコミと皇族。)