従来から主張している通りノーベル文学賞の受領は拒否する。平和賞なら受け取ってもいい。文学賞なら授賞式に行かない。授賞式に行かなければ受領の拒否を意味し賞は自動的に流れることになる。自分が書いてきたことはすべて事実に基づく一種の報道でありジャーナリズムに属してもフィクションやファンタジーが前提の文学には属さない。事実に基づく新聞記事に文学賞を与えることはできないのと同じ。文学賞を受け取ることはそれがフィクションであると認めることを意味し、ここに書き連ねてきた加害者と加害事実が現実に存在しないこととなってしまい、被害者の大石が政府や加害者のキリスト教会や学校法人や個人の作家や学者や医師に損害賠償請求できなくなるので受け取らない。自分にとって訴求力に優れた表現は動画であり文章は補助的なものに過ぎない。電子書籍の形でクリックすれば動画も見られる形式にするなら別だが文章のみを抜き出して動画も写真も参照できないし単語検索もできないゴミの紙の本にして売ることは絶対に許さない。文章だけでは動画の説明文だけ出版するようなもので全く意味をなさないし自分の主張の本旨から外れてしまう。先日公開したKawasakiの1000ccに乗る動画があると無いとでは文章の意味も大石の人物像も全く変わってしまうことがわかるだろう。万巻の言葉を連ねてもほとんど大石の人物像は伝わらないが動画で出せば大衆は一発で理解する。だから文章より動画の方がはるかに重要だ。また気質的に動画の作成は楽しいが作文は苦痛であり大嫌いだ。もし文学賞を受け取ったら死ぬまで文章を書き続けなければならなくなるがそんな人生なんてぞっとする。作文も読書も嫌いなのだ。言葉というものが脳を腐らせ自然な感性を破壊するという実感がある。言葉を使い始めて人間は直感的で動物的な霊感を失った。だからジャーナリズムに対するピューリッツア賞とかなら自分に適当と思うが紙の新聞記者にいじめられているので無理のようだ。加えて朝鮮人の大物映画監督やテレビ芸人にも排斥され続けているので映像に対する賞も無理だ。(以前YouTubeではなくVimeoを使っていたが特定の映画祭に動画を出品できる権利があり、アメリカで開かれるドキュメンタリーの映画祭に何本か出品したが無視された) 消去法で文学賞しかないというのだろうがそれなら何も貰わないからいい。金に困ってないし世間に認められたいとも思ってない。残りわずかな人生を捨てないでがんばって生きるだけだ。だからここで動画も写真も見れるようにしておくことが自分の務めだと思うし、金のために文章のみを紙で出版するなどという愚は視聴者を無視し悪徳作家や出版社を儲けさせるだけだ。また聖書という紙を神と呼ぶゴミ宗教を利するだけなので絶対に出版を拒否する。無断出版されたら著作権の侵害と出版権・公衆送信権の侵害で訴える。
以上のことをきのう口頭で述べてから眠ると東洋英和らプロテスタントのカルト学校勢力の送信が激しくなった。ちょっとウトウトすると間断なく大内が送信してくる。でも大内の思考が伝わっているのではなく大石の思考に応じて人工知能ですぐ動画を生成して返してくる感じ。俺の思考や視野は丸見えだが大内の思考はこちらからはまったく読めない。大内本人ではなくコンピューターが自動でやってる。しかし送信で受賞を強制しているのだからノーベル賞の作家が犯人だと断定できる。だからノーベル文学賞など絶対に受け取りたくはないのだ。自分は1億円を貰って作家のような犯罪者の群れに加わることはできない。「作品を書くためなら子供を強姦することも許される」などという文学界と作家という反社を許さない。大江健三郎がかつて朝日新聞で大石に向けて言った「カネ握らせて黙らせろ!」に応じることはできない。送信がやまなければ、佐倉伸洋が違法埋設した脳インプラントが外れなければ一生黙らない。
俺が貧乏で困っているとか(賞金を受け取る必要があるというデマ)、緑色がなんだとか送信があった。自宅住所は大内とキリスト教徒に暴露されいるので見た人も多いと思うが、10年前に買って価格が2倍になった。だから困ってない。不動産投資に比べれば株式投資の利益なんて微々たるものだ。緑色って青山学院のスクールカラーのことだろ。俺が自分の意思で選んで現役で合格したのは東京造形大でありここを出て子供服のデザイナーになるという意思を持っていた。それを丸山真男と中村恭己にやめさせられた。しかし高卒になるのは恥ずかしいと思い住まわされていた永福町の中村宅から井の頭線で一本で行ける最も近い大学が青山学院大だったから行ったに過ぎない。ただし夜学であり今から青山学院大に戻っても得られる資格は夜学の卒業資格でしかない。超能力や動画作成の自分の才能を大学やキリスト教や文学界に贈呈する気はまったくない。夜間大学なんて昼間仕事がある労働者や、昼間に教育を受ける機会がなく日本語も拙いような在日朝鮮人が行く大学であり、大卒の資格は得られるものの18時から21時の一日2コマしかない夜間大学は、一般の大学以下なのはもちろん短大より以下としか見られていない。そういう夜間大学に63歳なって戻ることにまったく価値を見いだせない。ガンで70歳で死ぬ人も多くそう考えれば自分はあと10年も生きられないかもしれないのだから、貴重な時間をゴミの大学教育に割く気はない。それに青山学院大なんて一部(昼間)でもはっきりいって2流3流クラスではないか。同校卒の有名人や上場企業の社長がほとんどいないことからもそれがわかる。人口激減で文科省が大学を半減させる計画だから淘汰で青山学院大は残らない可能性が高い。特に文系私立大はゴミ。女子大や宗教系下位私立は消滅するのが定めと思う。
「献花なんて・・」と送信。
丸山真男を偲ぶ会で参列者の一人として献花したことをいっているようだ。自分はYouTubeで丸山真男が話す動画という証拠を公開して「原爆症の遺伝子障害は子に遺伝すること。丸山健志は被爆者二世の遺伝子障害により精神病にかかり自殺したこと」を主張してきた。きのうマスコミ記事で「被爆者二世に奇形が生まれる」ことについて論じられていたから自分の主張が認められてきたことになる。被爆者二世も差別を恐れ障害を隠すよりも政府に補償を求める動きにでている。だからもう2度と人類が原爆水爆を使わないためにも丸山健志が生前異様な風体でかなり変わった性格を持った人物だったということも、被爆二世の重大な障害を背負った奇形的人生を苦しみつつ歩んだということも広めるべきだ。だから健志が偉大な人間であったとか自殺者はみな天才だとかいう中村恭己が広めた非科学的な虚偽を世間や学会やキリスト教会は撤回すべきで、健志は精神身体障害者であり病人であり福祉の対象となるべき哀れな存在にすぎなかったと認めなければならない。丸山健志が真男の息子であるから国父であるだとか、内村鑑三→南原繁→丸山真男→丸山健志と受け継いだキリスト教の聖人であるなどというカルト宗教の妄想思想で、皇室と東大と日本を支配しようとするキリスト教徒は策動をもうやめるべきだ。中村恭己は発達障害者だが発達障害者は天才であるなどど定義して、一般人より能力に劣っているゆえ福祉の対象となるべき障害者を優先的に入学させてきた東大ももうやめろ。日本人は未開土人のように宗教という迷信や文学という妄想の世界に生きるのをやめ科学という現実をもっと直視しなければならない。
静岡市清水区に農業試験場があり柑橘類や花きに放射線の弱いガンマ線を数秒間当てて突然変異させて品種改良している。どのように変異するかは未知数で果実が大きくなったものとか、背丈が低くなり生花に適した花きを繁殖させて株を増やしている。反面病害虫に弱くなり種もつけないなど遺伝子障害を起こして焼却処分される株も多い。ごく短時間のガンマ線の照射だけでこれほど突然変異するんだから大量の強力なガンマ線が降り注いだ広島原爆で人間に変異が起きないはずがないと常々思ってきた。だから丸山健志も原爆で狂った遺伝子を引き継いで生まれたせいで自ら命を断ったのだと思ってきた。二度と核兵器を使わせないためにも丸山家のプライバシーを公開してその恐ろしさを広めるときがきた。
