民主主義を選んだことが間違ったのではなく天皇制下での民主主義が不毛だった。天皇制と民主主義は共存できなかった。

民主主義が間違っていたのではなくて天皇制民主主義が間違っていた。天皇制は明治政府が国家神道という宗教を創作(捏造)して富国強兵の軍国日本を作るために導入した制度であり、本質的に民主主義と共存しない。天皇制を続けるとすぐ日本人は全体主義を始める。第二次大戦の終結で、西欧の植民地支配を受けていたアジア・アフリカ諸国は一斉に独立し、王政を廃止し民主主義国家を始めた。韓国も台湾もフィリピンも大統領制を始めた。皮肉なことに、アジアでは最も進んでいたはずの日本にだけ、アメリカの命令で天皇制が残った。アメリカ進駐軍が昭和天皇を屈服させたうえで天皇制を隠れ蓑にして、日本で間接統治を始めたためだ。(アメリカ軍は天皇命令で日本軍に武装解除させたため、日本人をゲリラ化させることなく、スムースな完全支配を確立した。その後もことあるごとにアメリカは天皇を使って日本人を操縦してきた)その占領軍体制がそのまま76年も続いてきた。全土が「焦土作戦」によって焼け野原と化し、日本人は家族と友人を失い、東京では焼夷弾で1夜に11万人が焼死し(東京大空襲)、餓死する者も多く、本土から壮年男子が消え、沖縄県民の9割が死に、日本民族断絶の寸前までいって、二発目の原爆が長崎に落ちて、天皇はやっと無条件降伏を受け入れを決断し、終戦を迎え、塗炭の苦しみを味わいつつも生き残った日本人の大半は、敗軍の将=日本軍最高司令官大元帥の天皇と天皇制の存続を絶対に望んでいなかった。アメリカ軍に押し付けられたまやかしの民主主義=天皇制民主主義の弊害が進み、植民地化された日本は今や先進国の立場から脱落した。永続化されつつある占領体制を今こそ打破したいのなら、天皇制を廃止しなければならない。「普通の民主主義国」に昇格しなければならない。どの国に沖縄のような巨大な米軍基地があるか?なぜ日本が太平洋最大の米軍基地を持たなければならないのか?アメリカがどの国と戦争するにしても、そのすべてが沖縄から出撃し、日本は戦争に巻き込まれてしまう。都心に米軍の麻布ヘリポートやニュー山王ホテルがあったり、富士山にキャンプ富士(富士演習場)があったり、外国の軍隊の駐留をここまで常態化させている国はない。日本は独立国ではない。天皇制を廃止し、真の民主主義を始めるべきだ。

(戦争末期の1945年、「今一度の大勝利ののちアメリカと講和する」と考えていた昭和天皇は、伊勢神宮と宇佐八幡に戦勝祈願に行ったが、同年二発目の原爆が長崎に落ちて、ようやくポツダム宣言(無条件降伏)の受諾を決意した。アメリカは二発の原爆しか持っていなかったが、「もっとたくさん持っているのではないか?」と、東京大空襲でも降参しなかった昭和天皇を震撼させたはずだ。長崎への原爆投下と同時に、ソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦した。これは終戦の1945年2月のヤルタ会談でアメリカのルーズベルト大統領とソ連のスターリンとの間で密約して決まっていたことだった。ソ連の対日参戦を望んでいたルーズベルト大統領は、参戦の見返りにソ連が日本に奪われた南樺太を取り戻し、元々日本領だった千島(北方領土・南クリル諸島)を日本から奪い取ることをヤルタ会談で認めていた。ソ連はナチスドイツとの戦いに専念するために日本と中立条約を結んでいたが、1945年4月にヒトラーがラジオのワーグナーに酔いながらピストル自殺し、ベルリンが陥落し、独ソ戦に勝利したので、スターリンは兵力をアジア(満州)に向けて移動を開始し、二発目の原爆で条約を破棄して対日参戦した。日本も中立条約に安住せず、ドイツに勝ったソ連が日本に攻めてくる可能性を理解しなければいけなかった。長崎への原爆投下で、アメリカだけでなく隣国ソ連とも戦わなければならない状況に陥って、天皇は「もはやこれまで」と降伏を決意した。)

1975年昭和天皇会見「原爆投下はやむをえないことと思ってます」(俺がアップした動画でない)
https://www.youtube.com/watch?v=4RKcd_OGam4
当時12歳の俺はこの会見を驚き混じりに見たのでよく覚えている。父も非常に憤慨していた。夕刊は天皇の無責任会見を大見出しで伝えていた。)

再公開 晩年に天皇制を否定していた丸山眞男
https://vimeo.com/508594147

動画中の丸山眞男の言葉

「私は天皇制が日本人の自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して自らの責任を負う人間の形成にとって、致命的な障害をなしているという帰結にようやく到達したのである」

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