(ドキュメンタリー・ノンフィクション)墓参の帰りに下宅部縄文遺跡の展示館に行ってきた。

(2023/9/24 7:47)

昨日9/23(土)に都立小平霊園に墓参後、電車ですぐなので数年前に行って大変感動した縄文遺跡展示館の「八国山たいけんの里」に行って録画して記録することにした。そこは東村山市の下宅部(しもやけべ)縄文遺跡から発掘された遺物の展示館だ。漆塗りの土器や木器が見つかり発掘された当初大変話題になった。調査の結果縄文人が漆の木を育て現代のとそれほど変わらない漆器を作っていたことがわかり、「弥生文化に比べて遅れた縄文文化」という定説の歴史観を覆した。

下宅部縄文遺跡の「八国山たいけんの里」へは小平駅から西武新宿線に乗って2つ先の東村山駅で西武園線に乗り換え一駅の西武園駅を下車し、西武園遊園地とは逆の方向へ歩いてすぐだ。

ここへ来た目的の一つは、丸山思想信者やクラシックファシストやカトリックや創価学会や統一教会のカルト宗教信者が多い女性天皇支持派と汚物の愛子・皇后雅子や中村恭己・雅俊や丸山学派らの学者が『縦横に編んだり縦横に作ることは十字架のキリストが発明した』とまったく虚偽の歴史を広めているからだ。低能な愛子の支持者は無教養や低学歴で批判力を持たない頭が真っ白のバカが多く、教えられた通りに容易にカルト思想のような丸山眞男カルト思想を信じしまう。丸山カルト思想を否定するために、紀元前の縄文時代の下宅部遺跡から発掘された縦横に編まれたカゴの実物の存在を示すためにここに来た。丸山眞男が縦横の概念を重視していたのは事実だろう。それがキリストからきているといっていたのも事実だろう。しかし工芸品や布を縦横に編んで作ったり、柱を縦横に組んで家を作ることは原始時代から人間がやってきたことで、それをキリストの発明だという丸山眞男はバカだ。丸山眞男の専門は日本政治思想史で思想史家だから史学者でもあるはずだが、史学者という歴史家が虚偽の歴史を広めてはいけない。『縦横に組むのはキリストの発明』などどいう(丸山信者はそういっている)丸山眞男は考古学さえわからない低知能なカルト思想家といわざるを得ない。それとも思想史家や政治学者とは権力者の政治的目的のために歴史を捏造することが使命であるか?いかに学者や大学がゴミであるかがよくわかる。小学校卒業文集の俺の「将来なりたい職業」は考古学者だった。

紀元前数千年前の日本の縄文人がさまざまな編み方を駆使して作ったカゴの実物。粘土に張り付いた状態で発掘されたので原型をとどめている。

縦横に編まれていることがはっきりわかる。キリストが生まれる数千年前の縄文時代の製造だ。

その編み方で復元したカゴ。現代の職人が作るカゴとまったく変わらない。現代人でこれを手で作れる人は少ない。いかに縄文人が高度な文明を持っていたかがわかる。縄文以後に稲作を開始した天皇中心の弥生時代ばかりを重視して、弥生時代よりはるかに長く続いた縄文時代を塗りこめるように黙殺してきたのは政治優先のゴミ学者やゴミ大学の教育の結果だ。

長い年月を経て炭化しているが縦横に編まれていることがはっきりわかる縄文時代のカゴの実物。

土器を作る際に乗せた台の敷物の縦横が写ってしまった土器。

 

下宅部遺跡から発掘された漁具を再現したもの。恐るべし縄文人。渓流で開口部を上流に設置して魚を捕る。東海大付属小の同級生多数で静岡市清水区の興津川に遊びに行って釣具屋で同型の漁具を買って使ったことがある。ただ置くだけで魚が捕れる便利なもの。

下宅部縄文遺跡から発掘された漆塗りの杓子(しゃくし=おたま)。造形の独創性に非常に驚愕し感動した。なんという不思議な造形なのだろう。骨や性器の曲線に似ており生物を思わせる。単なる道具のおたまであるにとどまらず祭器であり呪具だったはずだ。「おたまじゃくし」という言葉からわかるように丸い頭がついていて細い尻尾がついたスプーン型のものを杓子という。「猫も杓子も」はどちらも頭が丸くて尻尾がついていることから。霊的な形とされる。

諸外国ではスプーンで食べるのが一般的だが弥生時代以降の伝統的日本食ではほとんどスプーンは使わずハシを使う。これはスプーン=杓子を尊んだ縄文人を塗り込めるように弥生人が中国から渡来したハシを使ったことを示していると思う。

縄文文化にはおなじみの石棒。男根を型どっているが崇高な意味がある。繁殖(多産)や力の象徴にとどまらず世界や宇宙をも示している。大湯の環状列石もそれ。世界中に作例がみられインドにも男根石がある。縄文人が石を磨いてこれを作るのは大変な労力だったはずで、熱海の秘宝館のような軽薄で俗悪な目的で作られているのではない。

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