日本財団と三峯産業の大石喜央は思考と音声と映像の送信をやめろ。散歩中に威嚇する車や人が「タイマンでケンカできないいくじなしの喜央と日本財団だな」というと怒っていた。親戚が真犯人だったとは・・驚かないが。三峯産業はビルメンテナンスのほかビル警備もやっている。
(きのう散歩中の午後6時頃、カタール大使館の地下駐車場から出てきたBMWが俺をひき殺そうとしたので懐中電灯を当てて運転手の顔をさらして停止させた。以前も糞のカタールからでてきたポルシェに爆音で嫌がらせされている。麻布中高隣で悠仁が生まれた愛育病院前のカタール大使館の門前にはいつも警備員が立っているがドイツ車の危険行為をまったく止めようとしない。でもアメ公だろう。CIAが親米のカタールにいる。ヨツがよく乗るのがBMWで皇族のふりして威張る。本物の皇族はトヨタセンチュリーとかで外車には乗らない。バカ王族のBMWやポルシェなんてポンコツに乗るヨツに俺が動じるわけがない。危険なBMWに懐中電灯を当ててガンをとばして挑発したが絶対に降りてこようとしない。やっぱりカマや女や高齢者ばかりだ。普段世間でいじめられてるやつら。ヨツ。朝鮮人。貧民。そういうゴミを集めてテロをさせてるのが丸山眞男と日本財団と家庭連合とアムウェイ。おととい改造マフラーの爆音をあげていたドイツ車は白髪のじじいの運転だった。笑う。普段爆音の1000ccのバイクに乗ってる俺が音で驚くはずがない。今ガソリン車というポンコツに乗って自慢するバカ。田舎者ばっかり。)
(12日のブログを書いた直後、ライブドアのポータル画面で三木谷が「頭おかしいんじゃないの」と顔写真入りでいっていた。三木谷が俺のこと頭おかしいといってるのかと他のニュースで発言を調べると自分の球団の選手をオミクロンで足止めさせられたことに対して「頭おかしい」といっているとわかった。俺のブログとは何の関係もない。三木谷に敵意を持たせ対立させるためのライブドアのバカエモン堀江貴文の工作だろう。きのう散歩にでるまえ「西麻布の肉屋で飲食業者のヨツの堀江」といったらマンションの廊下がざわついた。バカエモンのバカな信者がいるみたい。鯖江エージェント(サイバーエージェント)の藤田のエキサイトもバカエモンの指示だろ。以前俺が堀江の真似して「ばってん、今度福岡に球団つくるだす!故郷に錦を飾るとですたい!」とか書いたことに対して根に持ってるのだろう。「肥後もっこすって何?肥後もっこり?魚屋の倅で柔道着が臭そうな山下泰裕とか油ギッシュなパワー全開の孫みてえの?」と俺がからかった孫正義は堀江(東大卒)と久留米大付設高の同窓生。中野坂上のお寺に堀江家代々の墓があるんだよねえ。九州の堀江と関係ないと思うが、やっぱり坂上だから堀江はそういう家なのだなと思った。)
警備業といえば闇の深い業種で、暴力団と強いつながりがあった自民党大野派の大野伴睦の秘書の叔父の大石四郎が創業した三峯産業だから、反日えせ右翼の笹川良一(競艇の日本船舶振興会=日本財団)や闇社会とつながっているのは当然のことだろう。水俣病を起こした皇后雅子の祖父の江頭豊の会社チッソ(新日本窒素肥料)の株主総会を撮影していた写真家ユージン・スミスを殴って負傷させたのはチッソが雇った警備員だ。
聖心女学園で上皇后美智子のおともだちのカトリック作家の曽野綾子を理事長に迎え、男性天皇反対の急先鋒の反日カトリック右翼になりさがった日本財団は、海賊対策としてLRAD(ロング・ディスタンス・アコースティック・デバイス=長距離音響発生装置)という軍や警察と同等の音響兵器を使っている事実を開示している。隣の部屋から電波ではなく超音波や低周波で攻撃している可能性がある。骨伝導ヘッドホンと同じ原理で壁や床を伝わった振動で頭に音を聞かせることができる。
虎ノ門1-13-14の三峯産業は笹川平和財団ビルの隣の虎ノ門宝寿会館にある。一階に「赤まる」「テング酒場」という飲食店があり、福間智人法律事務所と日本ゴムホース工業会が入っている。笹川が寄付金で強い影響力を及ぼす消防庁のゴムホースのことか?
明治製糖社員の祖父の子供のうち、長男重雄は税理士になり、次男房男(父)は公認会計士・税理士になり、三男の三男は清水製缶社員になり、いちばん頭の悪かった四郎は単身で上京し大野伴睦に泣きついて秘書にしてもらった。秘書をやめて大野に客をもらって三峯産業を起業した。父は四郎について「一人で会社を興したのは偉いと思うが俺にはとてもできない。あんなに人に頭を下げて仕事をもらうようなまねはできない。自尊心を売るようなことをしなくてもいいように、俺は猛勉強して公認会計士になった」といった。父と四郎は犬猿の仲で、兄弟でも頭のいい父を四郎は特に嫌っていて絶縁状態にあった。四郎が家に来たり父が行ったりしたことは一度もなかった。四郎の息子の喜央と俺は同じ世代だが一度も一緒に遊んだことはないし家がどこにあるかは今も知らない。覚えているのは小3(1972頃)のとき掛川市の祖母が危篤になって父の車で家族で見舞いに行ったときのこと。一週間ほど滞在して祖母がまだ生きていたが学校があるのでいったん帰宅することにした。祖父の家から出ようとすると向こうから車がきた。「あれ!四郎」という父の声で見るとそこに俺たちと同じ背格好の大石喜央とその弟が車を降りて歩いていた。それが四郎と喜央を見た最初のこと。こっちも車に乗っていたのでそのまますれ違って何も話していない。その後祖母はすぐ死んだが、「祖母が会わせたのかな?」と思った。その次に会ったのは1998年頃清水区で開かれた大石三男の葬儀にやってきた喜央と会ったとき。(大石三男の妻の清子が大石房男公認会計士・税理士事務所の事務員)精進落としで使った清水の港橋の「なすび」で喜央と会食した。喜央と話をしたのは生まれて初めてでそれが最後になった。四郎は父より早く亡くなり父は上京して東京の港区増上寺(浄土宗)で開かれた四郎の葬儀に出席した。ずっと都内に住んでいた四郎も掛川の僻地の臨済宗の墓には入りたがらず港区では著名な増上寺を選んだのだろう。
「母親が文筆家だった」という嘘の送信よせアメ公。京都の田舎者の村上春樹とか九州人の村上龍とかの作家。文学なんてこの世でもっともくだらないもの、女と子供のやること。母親は手紙のときは仕方なく書くが普段から文章など書かないし作品なんて書いていない。文章なんてだれでも書ける。でないといい大学にも会社にも入れない。文章なんて才能じゃない、義務。それを自慢するのはよほど勉強ができなくてほかに絵画とかスポーツとかの他に才能のない者がいうこと。外国語ならともかく日本人が日本語書いていばるなといいたい。子供でも自在に書けるではないか。特技じゃない。
このブログの出版は絶対に許さない。文学じゃない。違法出版したらただちに警察に通報し告訴する。こっちには金と暇があるから何年でも法廷で戦う。
ブログの冒頭に出版を許さないと書いているのにそれを無視して著作権・出版権の侵害をしたら出版社は言い逃れできない。作家の作品を集めて著作権ビジネスする出版社が他人の著作権と出版権を侵害したら、もう出版社の著作権と出版権は保護されない。盗人は盗品の所有権を主張できない。出版社が本をネットにコピーされて裁判を起こしても、「この出版社は大石敦巳さんの著作権と出版権を侵害していました」と証言すれば、裁判所は出版社に著作権を認めることは絶対にできない。ゆえに出版ビジネスは崩壊する。本は瞬く間にネットにコピーされる。出版社はこのブログを無断出版して自殺しようとしている。