丸山眞男の実父丸山幹治の生地の長野市松代清野881(現・丸山内装)周辺の環境。赤丸の内が丸山幹治が生まれた松代清野の大村地区。背後に山、北に大河の千曲(ちくま)川が流れ、黄色線部分も千曲川の支流で、どこにもでられない典型的な閉鎖部落。ゲットー。北側の山端では日照時間が短く、農業をやっても作物が育ちにくく収穫量が少ない。過酷な地。付近は川中島の合戦の地で、上杉謙信の千曲川渡河を描いた頼山陽の漢詩「鞭声粛粛夜河を渡る」(べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる=鞭の音も静かに夜川を渡る)で知られるように、江戸時代までは防衛目的で大河に橋をかけないことが多かった。住民に移動の自由はなかった。
被差別部落民の丸山彰(丸山眞男長男)と大内純子が、同じ二世三世のバカという点で意気投合し、異端革命と称して部落民を組織して、国家転覆を謀っているのは確実であり、紳士気取りの丸山眞男と大内兵衛の両者とも被差別部落出身であるという事実を日本と世界に知らしめ、「異端による正統に対する革命」の本質が何であるかを知ることは、彼らの暴力革命(国家転覆テロ)を阻止するために必要なことであり、差別には当たらないと判断した。イギリス留学して経歴ロンダリングして貴族ぶっていた丸山眞男が、自らの出生を隠蔽したいばかりに、政治学・社会学をやりながら、日本における最大の政治的・社会的課題である部落問題との対決を避け、部落勢力を秘密裏に組織して暴力革命を起こそうというシナリオを部落民の中村恭己に託したことは、丸山眞男の学者としての自殺であり、日本の大学と学問が問題の解決にまったく役に立たないことを例証している。被差別部落問題の存在を隠蔽すればするほど、日本における内乱の可能性は高まっていく。
松帆地区の隣にある倭文地区。倭文と書いて「しとおり」と読む。考えられない読み方。どの地名も渡来の響きがあり、古朝鮮語ではないかと直感したが調べたらそのようだ。「しず」がなまったものだとも。「倭文神道」地区も被差別部落地区。淡路島は歴史の古い地で古事記に奇形児を流したことが記されており流刑の地でもある。淡路島の淳仁天皇陵は政争に敗れた天皇が流され淡路で死んだもの。淳仁天皇は別名淡路廃帝と呼ばれる。「あわじ」は「会わじ」(二度と会わじ)の意味。