(2021/2/28録画) LGBTプライドハウス東京レガシーに相談に行く(再公開・ダイジェスト・ノンフィクション・ドキュメンタリー)

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(2023/11/24 5:44) (ノンフィクション・ドキュメンタリー) 性的マイノリティの多くが性暴力や脅迫を受け、その半数が誰にも相談できないでいるという調査結果が報道されている。自分自身の体験から『まったくその通りだ』ということができる。ペドフィリア(小児性愛者)に対するべっ視は非常に激しく、まるで異星人か伝染病患者(ハンセン病患者)を見るような目で、長年弾圧・迫害・差別・監視され、今も南麻布の地域住民に人権と生存権を脅かされて苦しんでいる。東海大附属小、静岡市立城内中、静岡県立清水東高、京都府立洛北高、都立鷺宮高の同級生および東洋英和女学院高の大内純子が、心底俺を憎みもう二度と仲間に入れようとしないのは、生理的に小児への性行為を容認できないからだ。自分が性的マイノリティのペドフィリアであるという事実を喋った友人はごくわずかだが、そのいずれにも嘲笑され以後仲間から外されている。生前の兄にもこれを相談したが兄は突如俺を見下す目で笑いだし、「それはダメ」と言った。以後俺も一切兄の相談に乗らなくなり、兄は結婚予定だった名古屋の自動車部品メーカーの社長の娘の井上真由美にフラれてそれを誰にも相談できず立教大文学部在学中の27歳で自殺した。鷺宮高では井川大輔と林修司と池谷静輝(20代でアメリカで死去)が俺の秘密を知っていたが(こいつらが学校全員に暴露)、親友だったはずの池谷すら笑いだして「ウソだろう?」といった。俳優の井川比佐志の長男の井川大輔の経堂の家に行ったとき井川のクラスメートで井川の彼女の倉田裕子も来ていて、二人はいきなり俺の目の前でセックスを始めた。子供が好きな俺をあざ笑うように、出し入れするところが俺によく見えるような体位でした。小学生の前でセックスしているような背徳的な喜びを感じたのだろう、興奮して二人はハア!ハア!と声をあげていた。俺は『低偏差値校は嫌だなあ。ひどい学校に転校して来ちゃったなあ』と思った。しかし頭の悪さよりも、二人が勝ち誇ったように俺に心理的虐待を加えて喜んでいるのがわかった。今思えば性行為を見せつけるのも一種の性暴力といえるだろう。鷺宮高3年のときに井川に連れて行かれた中村恭己の家で、俺は丸山眞男の名前をだされて「オルグ」され洗脳された。俺と中村と韓国人の姜雄二の3人が中村の4畳半の部屋で一緒になったとき姜に服を脱がされ性暴行された。その様子を中村は中村秘蔵の高価なポラロイドカメラで撮った。もちろんゆすりや口封じに使うためだ。

姜雄二は兄と同じ立教大文学部生で、兄と同じように小論文入試に受かった。『小論文だけで合格できる』と英語ができない文系劣等生に人気の立教大文学部の小論文入試だった。静岡高校を登校拒否して2年ダブって底辺校の京都市立紫野高校に編入した兄は車を乗り回して遊んで全然勉強をしなかったので学力はどんどん落ち、希望した慶応大、早稲田大、上智大には受からなかった。立教大の小論文入試ではない英語がある通常入試にも落ちたのでよほど英語ができなくなっていたとわかった。兄の静岡大付属中の同級生の友人の渡辺久芳や平口康成(ゲイ)の慶応大や、山梨秀人の早稲田大や服部の滋賀医大や、東海大付属小ではライバルだった牛尾奈緒美の慶応大文学部仏文科とは差がついてしまった。ゲイ雑誌の薔薇族の恋人募集欄の投稿の常連だった姜雄二は作文には自信があるといい本も好きだったようだ。でもブ男でいつもケツマンコとか言ってとてつもなく下品な姜と同じ大学とは、兄も落ちぶれたものだと思った。姜は中国にあった遊牧民系の国家名と同じだから、韓国人でも百済人の大内と同じツングース系だろう。目の小さいところが大内と似ている。間寛平の目だ。

すでにここに詳細を書いたように鷺宮高を卒業したころ金持ちのバカ息子のゲイの後藤の家に行って売春するように中村に命じられた。自分は子どもに関してはバイだが大人の男(体毛が伸び肩幅が広くなった中学生以上の男子)にはまったく興味がなく男とのセックスは虫唾が走る。中村は建前では禁欲を主張し、また俺に見透かされ尊敬を失うことを恐れ、無理やりセックスを迫ることはなかったが、股間を触ってくることは日常茶飯事でトイレを覗かれることもあった。1階のトイレの清掃用具入れは人ひとりが入れる空間があるのだった。(ジャニー喜多川の真似をしたらしい)しかし禁欲の誓いを守っていたのは俺一人だけで、俺以外はみんな中村とセックスし、それゆえ固く結びついているのだとわかった。中村が「奥の院」と名付けた秘密の個室に、銀座のINAX(=伊那製陶・現LIXIL)便器ショールーム(現在のブリリア・アートギャラリー)で見つけて買ってきた外国製の高価な折りたたみ小便器を据え付けたので、中村が生徒たちや来客者(セイホク社長の井上篤博など)を呼んでそこでセックスしているとわかった。奥の院にはバブル時代に流行した24時間風呂があって、タチよりウケが好きな中村は男たちに尻に入れさせて、終わるとまず小便させて風呂に入れてスッキリさせて翌朝送り出しているのとわかった。以前中村が「ゲイはお尻に入れたあと必ずおしっこをするのよ。おしっこには殺菌効果があってそうすると尿道が化膿しないのよ」といっていたのを思い出した。結局自分だけがバカをみて禁欲を守らされていて他は皆セックスを楽しんでいた。今思えばこの頃から皆と交わらない俺を中村ピアノ教室の全員がべっ視し仲間から外していたのだとわかる。特に集団ナンバー2の坂繁巳は絶対に俺に心を開こうとしなかった。みんなでホモセックスしている事実を知ってから俺の心は急速に中村の集団から離れ、逃げて独立して自分で自分のパートナーを見つけるしかないと決意した。しかし中村の家の天井裏部屋に閉じ込められ体力を失っていた自分には逃げる気力がなかった。そこで利用したのがテレビの子役だ。恋の力だ。恋は無気力を消し生きる気力と活力を与える。天才てれびくんの子役たちに会えるよう33歳の俺はパソコン通信にあの手この手で書いた。しかしそこにはそれまで誰とも交わっていない童貞の俺の、この世への恨みつらみと呪いがいっぱいこもっていた。そこで皇室を揶揄したことと、『少年とやり放題なのに警察に捕まらない』ジャニー喜多川の児童性的虐待を批判したことが、NHKの首脳と権力者と警察の目に止まることとなった。丸山眞男の実の兄の丸山鉄雄はNHKの『のどじまん』などのプロデューサーであり、レコード大賞特別賞の受賞者であり、コロムビアレコードの取締役だ。以後のマスメディアによる弾圧に丸山一族が深く関与していたのは疑いない。もし丸山眞男・丸山鉄雄が俺の存在を好意的に捉えていたのなら、テレビ・ラジオ・新聞・出版や芸能人や作家やクラシック音楽家による数々の弾圧は絶対にありえなかった。丸山兄弟が俺を丸山家に楯突く裏切り者だと断罪していたからこそマスメディアや作家によるアウティングと弾圧が今もあるのだと言わざるを得ない。

丸山鉄雄 - Wikipedia

1995年の5月にパソコン通信=ニフティーサーブのテレビフォーラムA(FTVA)の9番会議室『NHK/天才てれびくんホカ』板に書き始めてからすぐ、丸山ゆか里から中村恭己宛におかしな封書が届いた。文面をいぶかしんだ中村はそれを俺に見せにきた。手紙には『来る*月*日にETVで丸山眞男の特集番組が放送されます』とだけ書かれていた。中村は俺に「これを見ろってこと?でもETVって何?」と聞いてきたので「教育テレビのことじゃないの?」と答えた。当時NHK教育テレビをETVと呼ぶのは一般的ではなかった。しばらくして文面の真意がわかった。その年天才てれびくんは児童劇団ではなく初めて営利の子役=ジャニーズやクレヨンといった芸能事務所・モデルエージェンシーの子役を起用した。それまで教育テレビの子役といえば児童劇団のしか使っていなかった。それについて俺は「教育テレビが営利の子役、それも児童性的虐待の疑惑が強い芸能事務所の子役を使ってもいいのか!」とNHKを批判した。後日、NHKが天才てれびくんのコーナー番組「ダビンチの迷宮」の制作を丸投げしていた麹町1の制作会社ヒューマンプレス(日本テレビ系)の社長でプロデューサーでニフティーサーブのテレビフォーラムA(FTVA)『NHK/天才てれびくんホカ』板の管理人をしていた長手源三郎に会ったが、「大石さんの、教育テレビ・・の発言にNHK全体が引いてしまったんです」と述べた。だからパソコン通信の俺の発言を、NHKプロデューサー丸山鉄雄を兄に持つ丸山眞男・ゆか里が読まなかったはずがない。ゆか里の中村恭己に宛てた手紙の『ETVで丸山眞男の特集番組が放送されます』は、ゆか里が『これ以上教育テレビって書いて問題を教育界のせいにしないで。テレビ界のタブーになっているジャニー喜多川の児童性的虐待問題を追求するのはやめて』と堕落した政治学者でジャニーズ問題を社会学の俎上に載せて解決しようとしない卑怯な丸山眞男とゆか里が暗に俺に懇願しているものとわかった。でも若くて血気盛んな俺が中村の家で禁欲を強いられているのにジャニー喜多川が子供とやり放題で大金持ちなのは許せなかった。それを『芸能・芸術(クラシック)の世界の慣習』だと容認した丸山眞男を絶対に許せなかった。

天才てれびくんで子役をアップで撮るので、視聴者が子役を大人と同じ大きさの交際に値する人物だと勘違いしてしまう「錯視」の問題が、ニフティーサーブのNHK/天才てれびくんホカ板で話題になったとき、俺は次のように発言した。丸山眞男が『文明論の概略を読む』の中で使った表現=手に持つ武器のことを『柄物』と書いたいわば眞男語の表現を逆手に取って、俺以外のロリコン発言者に向けて、男児について「あんた!どだいエモノが小さい!」と書いて、ニフティーサーブ全体の読者の笑いを取った。これについてゆか里・眞男は逆上していたようだ。しかし俺を餓死させかけた丸山が悪い。食い物の恨みは深い。お前ら教師や芸能人や音楽家ばっかりうまいもん食いやがって。

長手源三郎が天才てれびくん板の開設目的にしていたメディアミックス=パソコン通信とテレビとをミックスし相互にやり取りして番組を作り上げていくこと、を使って、天才てれびくんの子役とバーチャルな恋をした俺はみるみる活力を取り戻し、その年の8月になって中村に見つからないように荷物と二匹の猫を運び出して清水区の父の家に向かって逃走した。その直後丸山眞男が死去した。今思えば俺の書いたことは世を揺るがす驚天動地の書であったはずだ。「大地に打ち込んだクサビをさらにハンマーで何度も強く打って、しまいには地球の自転を逆回転させてやる」と意気込んで書いたのだ。結果その毒に当たって丸山眞男が死んだのだろうと思った。丸山はあまりにも俺を無視し冷たく無理解だった。その時になって初めて俺の文才を認めて驚いたのだろうが、死んだのは自業自得だと思った。これゆえ妻の丸山ゆか里は深く俺を憎み復讐を決意し「粛清と抹殺」を命じて死んでいったのかもしれない。特に2009年末、俺が東京に戻って転居後、ゆか里に一度も挨拶に行かなかった俺にひどく腹を立て恨みを持っていたようだ。でも2007年に会ったときゆか里は俺に「大石さんを誰か覚えていません」と老人ボケを装って、「公安警察に弾圧されているので助けて欲しい」と願いに行った俺を無視した。そんな女に改めて挨拶に行き「ゆか里さん、俺を覚えていないといっていじめないで下さいよう」と頭を下げろとこのアマはいうのか!

俺はパソコン通信に丸山のマの字も書いいない。しかしいわゆる丸山語を逆手に取って俺を餓死させかけた丸山を嘲笑した。それを書いたのには以下の重大な理由がある。1988年、中村恭己とその親は、永福町の自宅(永福4-8-14)を二世代住宅に新築するため太陽神戸三井(さくら)銀行永福町支店(現在の三井住友銀行永福町支店)で35年ローンを組んだ。玄関を俺が見つけてきた輸入石材商社のアドヴァンのイタリア産の大理石貼りにするなどの無駄使いで予算をオーバーし頭金が足りなくなっため、俺に「丸山眞男先生が貸せと言っているとお父さんに言って2000万借りて!アツミの住む場所も法的に確保するから」と命令した。無論拒否すればアウティングされることはわかっている。嫌々ながら父に電話すると「その金で本当に敦巳の住む場所の権利が確保されるのか?俺には丸山さんはどうでもいいしその名前でも信用で金は貸せないからから中村さんからちゃんと借用書を取れ。文房具屋で日本法令の様式集という書類が売っているからその中の借用書を使え。」と言った。中村にそれを指示すると「わかったわかった。とにかくお金が必要だからお父さんにすぐ出すように言って」と言われた。それがだんだん「もう!早くお金を出してよ!こっちが困るじゃないの!」になり「おいアツミ!すぐ出せ!」という脅迫口調に変わった。俺が銀行に行き金を下ろして銀行の紙袋に入れた2000万を中村の自宅に持って行った。最後に「ちゃんと借用書書いてね」と言って中村にその金を渡した。それをがっしり掴んだ中村は「ニタア!」と笑った。『あっ!騙された!』と気づいた。盗人の顔だ。プロレタリアの顔だ。俺が甘かった。秘密を話してしまった俺が悪い。無論それから中村はまったく借用書を書こうとしない。それどころか前よりも居丈高に俺に命令するようになった。『もう家に帰れない』という俺の焦りを見透かすように・・・・。家から大金を持ち出させて献金(布施)させて親と仲違いさせて家に帰れなくさせるのは、統一教会などの宗教が信者にする常套手段だと知った。中村はこの手口を明星学園全共闘でオルグ活動の一環として習ったのだろう。父には電話もできなくなってしまい帰省することもなくなった。この金については父は清水税務署に提出していた確定申告書の貸付金勘定に、2000万(中村恭己)を毎年載せていたので政府の役人は調べてみるがいい。

この2000万の貸付金については『ノーブルな精神の貴族』を自認していた丸山眞男氏のご遺族に利息をつけていずれ返済していただく。

清水区に転居する前、父の所有の杉並区のマンション(ライオンズマンション浜田山第二205号室)を吉祥寺の大京住宅流通で独身の東電の女性社員に売却した。直後、清水に向かうために吉祥寺から中央線に乗ろうとすると、電車に足をかける直前人身事故のアナウンスがあって不通になった。仕方なく井の頭線に乗った。後日マンションの荷物を運ぶため父の車で上京した。荷物を満載して用賀から東名高速に乗った途端「事故。富士〜静岡間不通」と電光掲示板が点滅した。仕方なく富士から国道に降りて清水に入った。交通の要衝の清水区の薩埵峠で大事故だった。東名の大型トラックで運んでいた家一軒ほどもある巨大な大型コイル(鉄の薄板を巻いたもの)が地上に落下していた。公安に弾圧されてから知ったことだが、このような派手な事故は大体公安(警視庁公安部、警察庁警備局、法務省公安調査庁)の手によるものだ。だから静岡の公安ではなく一番最初は東京の公安の捜査を受けていたことになる。しかし1995年に清水区に転居してすぐのころ、ホームセンターに自転車で猫砂を買いに行こうとすると田舎者顔の目つきの悪いこちらを睨む不審な中年男の軽自動車がつけてきた。自転車に合わせてゆっくり走るパトロールカーのような動きと田舎者顔から静岡県警ではないか?と思った。レジで猫砂を買う俺をじっと見ていたので、帰りは軽自動車を巻くようムチャクチャに走った。しかし自宅の前に戻って後ろを見るとピタリと男の黒い軽自動車がつけてきていた。降りた男が俺を睥睨するように睨んだ。

1997年11月、田舎の生活に寂しくなった俺は一人で東京へ遊びに来て美術館など見た。そのときのキオスクの夕刊に『北海道拓殖銀行破綻』とでた。バブル崩壊後の金融機関の最初の大型倒産で都銀初の破綻だ。(北海道拓殖銀行は地銀ではなく都銀) これは1995年に書いたパソコン通信で子役のことを「未開拓農地(処女地)につき屯田兵の突撃精神を要す」とお笑い的に書いたことを受けた破綻だとすぐわかった。東京の警視庁公安部や公安調査庁(公安庁)が北海道拓殖銀行を破綻銀行に選んだということ。だから東京とか静岡というより日本政府のしわざ。屯田兵は北海道開拓農民でかつ戦時は戦う兵隊のこと。拓殖銀行の拓殖は開拓して植えそこに住み着くこと。西村博之の祖父が北海道で屯田兵をしていたというのも俺のこの記述を受けた作り話だろう。

1997年ごろ、清水区の自宅から児童のヌード写真集をドイツの会社に封書で注文した。ヌーディスト村で生活するの男女の児童の日常を写した写真集だ。裸体を見せることがヌーディストの主義主張なので、それは欲望を起こさせるポルノとは違うというが、実際のところはヌーディスト村の収益源になっているようだ。この写真集は当時渋谷の大盛堂などでも普通に売っていたし、まだ1999年の児童ポルノ法施行の前だったので、本屋には篠山紀信など日本人の写真家が撮った子供のヌード写真集や、ロリータヌードが載った男性週刊誌が普通に売られていた。従って海外に注文した自分には罪の意識はまったくなかった。事実杉並区から注文した際は何の問題もなく商品が到着した。しかし超保守県で閉鎖的な田舎の清水のこと、外国からの小包は書留便でもどんどん開封してしまうのだろう。そのドイツからの書留小包は届かなかったので押収されたのだろう。以後清水人の俺を見る目が嘲笑と差別と監視の目に変わった。この写真は清水区の自宅付近で撮った清水郵便局の配達員の写真だ。

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こいつはいつも笑いながらバイクを唸らせて俺を追いかけ威嚇・脅迫していたので、この日逆に追いかけて撮った写真だ。配達員の顔が笑いに歪んでいる。この写真の解説文を書いたころはこれらの写真に写った清水人の真意を測りかねていたので写真の解説が必ずしも的確ではないが、清水はその後俺を異星人か伝染病患者のようにべっ視し、嘲笑し、迫害し、差別し、監視し、秘密裏に脳インプラントを埋設して奴隷化してきた。東海大附属小の奴らも清水東高の奴らも城内中の奴らも『性的に子供が好きなマイノリティ』の存在にどうしても嘲笑をこらえられず、どうしても許すことができず、それが簡単にかつての友人で同郷の俺を裏切る根拠になったとわかる。「大石は生徒副会長もやった人気者でダジャレがうまく勉強ができて剣道も強く部落民などではなく鉄筋コンクリのビルに住む金持ち。しかしそれはそれ、子供とセックスしたがる大石を絶対に許すわけにはいかない」と学校・大学全体、区全体、市全体、静岡県・東京都・京都府全体で弾圧してきた。

郵便局員が俺の小包の中身を地域に暴露したことが大きいが、それとは別に東京のマスコミがアウティングを始めた。これはマスコミに強い影響力を持つ丸山眞男(ゆか里)と、中村恭己と皇室と警察のしわざ以外にありえないと思った。大学の権威と日本国の体制をパソコン通信の一発だけで揺るがせた大石の存在は危険であり潰すべきだと権力の一翼を担う丸山眞男は考えたのだろう。小児性愛を精神異常だと見なす精神科医と保健所と母親によって医療保護入院させられ、注射を打たれて眠らされ、精神科医の院長の池上直美と主治医の大森真と精神外科医と同級生で慶応大医卒の耳鼻科医の佐倉伸洋らによって脳活動をバイオハックする脳インプラントを脳に秘密裏に埋設された。退院した直後頭頂に血豆がありほじると出血して止まらなかった。その時一時的に失語症に陥り言葉を喋れなくなっていた。侵襲的脳インプラントを脳に埋設する手術によって脳細胞が破壊されて起きる失語症だ。(脳細胞は再生するのでその後失語症は治った)

退院後、2週間に一度通院させられたが、いつも自転車で清水区立浜田小の前を通った。その頃誰だか忘れたが女性皇室が清水区を訪れ浜田小を訪問した。その直前静岡新聞には浜田小が児童と近隣住民との接触を図るための実験校であることが紹介されていた。昔浜田小のすぐ近くの千歳町14に創価学会があったことを思い出す。大阪池田小殺害事件(俺の誕生日の6月8日に起きている。池田は創価学会の暗喩。犯人の宅間は俺と同じ源氏に多い姓。宅間上杉家など。秋葉原通り魔事件も6月8日)などが起きており、学校への不審者の接近が警戒されていた。しかしなんと浜田小の塀は数メートルおきに人が通れる隙間が設けられていて誰でも学校に侵入できた。そこに女性皇族が訪れ、その塀をすり抜けて俺と児童との接触をそそのかすように、嘲笑した顔で静岡新聞に写っていた。

(異様な清水区立浜田小の塀)

別の場所で『社会科学実験』と看板を持った女が歩いていたことがあった。天皇皇后とほとんどの皇室が俺をペドフィリアとして嘲笑しべっ視し差別し迫害し人間扱いせず基本的人権と生存権を侵害し脳インプラントで奴隷化し搾取してきた。『歴代天皇肖像集。定価8万円。お買いください』とだけ書かれた脅迫状のような封書が届いた。ニールセン調査の女性調査員が自宅に来た。社会科学協会から『統計的手法によりあなたが無作為に抽出されました』と質問ハガキが来た。東京のテレビ朝日から支持政党を聞く電話があった。俺が選ばれるように社会学者・統計学者が操作をしたのだろう。個人は特定されないとする統計でも学者は簡単に個人を特定してしまうものとわかった。

つい最近もウィーン少年合唱団を鑑賞した皇后雅子が『オペラグラスで鑑賞』と俺を嘲笑していた。1994年頃東京で、オペラグラス持参で海外の児童合唱団の公演を見に行ったことがあったからだ。児童合唱団のコンサートでわざわざオペラグラスで見る人はいないから会場の運営者やプロモーターや合唱団のファンがそれを見ていたのだろう。性的マイノリティをせせら笑う雅子や天皇や高窓宮などの皇室は、マイノリティの痛みと苦しみを少しも理解していないし、雅子のように俺の才能を妬んでみんなで笑って逆襲する。皇室は清水の下層階級や中野区の低偏差値都立鷺宮高校生と同じ。保守的で小市民的な人間ほど性的マイノリティを笑う。笑って才能のなさと貧乏のうさを晴らす。毎晩俺に生きる気力をなくさせるような心理的虐待の送信をやめない警察の大内純子も同じだ。子供を好きになる者への深い深い憎しみに満ちている。異民族や異教徒を憎み、それを滅ぼすのが正しいと信じるキリスト教やカルトの信者のように、百済人で部落民の大内純子や部落民の牛尾奈緒美が日本人で部落民でない俺を弾圧・差別・奴隷化している。俺を差別迫害する理由を『大石は部落民だから差別されている』と、ペドフィリアという本当の理由をごまかしている。

1998年頃、毎年清水で毎年開かれていた草サッカー大会(全国の小学生が清水区でトーナメント戦をする)が開かれていたのでちょっと気になって駅前でその日程の小冊子を買った。その開会式の会場に自宅から道一本隔てた近所の一中(清水区立第一中)が選ばれ、祝いの花火が大音響で響いていた。爆弾か?空襲か?と勘違いするような恐ろしくなるほどの大音響だった。すると会場のアナウンスが響いてきて「本日は来賓に高窓宮様を迎え・・・・」と聞こえた。わざわざ皇室が俺の家まで性的マイノリティの俺を嘲笑しに来ていた。

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