創価大内純子の送信がまだ俺のブログや動画をフィクションだといってるので・・。ドキュメンタリーに対する賞なら考えてもよい。

このブログ「大石敦巳の主張と要求」も、それ以前の2012年1月31日〜2019年10月26日まで書いていた「大石敦巳のブログ」(フロントページhttp://astumioishi.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/index.html、バックナンバー検索ページhttp://astumioishi.cocolog-nifty.com/blog/archives.html)も、YouTube及びVimeoに大石敦巳の名前で公開した動画も、これらすべてがノンフィクションであり、事実を記録したドキュメンタリーであり、事実を伝えるジャーナリズムだ。

犯人のマスコミ(出版、テレビ、ラジオ、新聞、映画、ネット)や、NSA創価学会・カトリック・東海大が自らの犯行を隠蔽するために、俺が公開したブログや動画が事実ではなく、それが創作されたフィクションだとか、小説・文学だとか、CGを使った創作映像だとか、エキストラを使った創作映画作品であるという虚偽を広めるための、俺に文学賞や映画賞やノーベル賞やボランティアに対する賞を俺に押し付けることは認めない。断じて受賞を拒否する。

しかしドキュメンタリーに対する賞や、ピューリッツァー賞のようなジャーナリズムに対する賞なら考えてもいい。しかしこれらの賞は、既存マスコミの「業界人」に対する賞なので、制度上俺に与えられることはない。ブログを新聞や本に再掲載することは認めないから受賞されない。(ジャーナリズムとは既存マスコミという閉じた世界の報道のこと。俺はジャーナリストではない)しかしインターネットを使って広く世界に事件の存在を告知したことは、新聞や雑誌などの既存ジャーナリズムができないことをしたという自負があり、 インターネットメディアを使った使った報道として、ニュースとして、貴重なドキュメンタリーとして、いずれかの団体に正当に評価されてしかるべきだろう。

新聞・テレビ・ラジオ・出版・ネットの既存マスコミとNSA創価学会と丸山眞男勢力が、俺に芥川賞・直木賞やノーベル文学賞・平和賞を押し付けて、俺に対する著作権侵害行為の責任逃れをしようとせず、世界各地で頻発しているテクノロジー兵器を使った組織的加害とハラスメントの存在を認めて、事件の存在を世に告知すれば、一気に解決に向かう。俺はそれを目的にしている。賞のカネや名誉が目的ではない。しかし犯人のマスコミのジャーナリストが「自分たちがやりました」とマスコミでいうはずがない。ジャーナリストが認めない(隠す)から何十年も事件が解決しない。だから俺にジャーナリズムやドキュメンタリーの賞が与えられることはないだろうが、俺が文学賞や平和賞やマグサイサイ賞のようなボランティアに対する賞を受け入れることもありえない。すべてが事実であって、長年の苦闘の記録であって、暴行されてもビデオカメラを手放さず、血のにじむ努力をして撮影したドキュメンタリーだ。それが陳腐な小説や、盗撮監督北野武や黒澤明の暇つぶし映画のような創作物であるなどという嘘を絶対に認めない。

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