晩年に天皇制を否定した丸山眞男。昭和天皇崩御(1989.1.7)の24日後に書かれた丸山眞男著『昭和天皇をめぐるきれぎれの回想』の抜粋。(加筆なし)

昭和天皇をめぐるきれぎれの回想

1940(昭和十五)年6月に私は東京帝国大学助教授の辞令をもらった。私には月給が助手時代の六十円から一挙に百二十円にはね上がったのがいちばんうれしかった(ちなみにこの独身の助教授時代は世相はべつとして経済的にはわが生涯最良の日々であったといえる)。間もなく叙従七位という位記が届いた。浄土真宗の篤い信者であった母はさっそくそれを仏壇にあげて手をあわせた。父は一瞥するなり顔をあげてハハハと哄笑し「お稲荷さんにはまだ遠いな」といった。いうまでもなく稲荷大明神は正一位だったからである。はしなくも息子の官位とか出世とかにたいする父と母との対照的な反応がそこに現れていた。なおついでにいえば、この戦前の位記が戦後になってどう処理されたのか、無効になったのかあるいは形骸だけでもまだ存続しているのか、もともと私には関心のなかった問題だけに今でも不明である。ご存知の方があったら何かの折に教えていただきたい、と思っている。

助教授になって霊験あらたかと感じたのは、助手時代にはまだ毎年の行事だった特高の来訪や憲兵隊への召喚がパッタリと止んだことである。理由はよくわからない。どこかで何らかの方法で監視されていたかもしれないが、少なくも露わな形ではなくなった。のちに太平洋戦争勃発後に一度、憲兵隊に召喚されたことがあるが、これは流言飛語容疑であって、どうも以前のブラックリストとは直接に関係なく、つまり「別件」によって呼ばれたもののようである。

さて、つぎの天皇とのかかわりは何といっても皇紀二千六百年の祝典である。同じ年の十一月にさまざまの行事が催されたが、このとき帝大に天皇の「行幸」があった。高等官には拝謁を賜うとあって、当日は父からフロックコートと山高帽を借りて出かけた。拝謁というと大げさだが、なにしろ帝国大学というのは、諸官庁のなかでもとりわけ高等官がワンサといるところである。指定された安田講堂に入って見ると、拝謁を賜う高等官で講堂はギッシリ埋まっていた。やがて時が来ると昭和天皇は海軍大元帥の軍服姿でゆっくりと壇の左手から登場し、中央で一同の方を向くと、私達の最敬礼にたいし顔をわましながら挙手の礼をもってこたえ、右手にまたゆっくりと去って行った。「拝謁」とはただそれだけのことであった。それでもある同僚は講堂を出るなり「御立派ですね」と感慨を漏らした。この同僚ほどの感慨は私にはなかったが、たしかに従容として迫らざる感慨を感じたのは事実である。すくなくも、戦後の天皇の全国巡遊で、民衆にたいし中折帽をとってバカの一つ覚えのように「あ、そう」を繰りかえす猫背の天皇をニュース映画で見たとき、これがあの安田講堂なりでじかに見た天皇と同一人物であるとは、私には容易に信じ難かった。白馬にまたがる大元帥の陸軍軍服姿の天皇の写真はおそらく諸君も見たことがあろう。一体、天皇はあのピンと背筋をのばした姿勢から、いつの間にあれほど猫背になってしまったのか、というのが今日まで解けぬ疑問の一つである。

(中略)

この稿が意外にダラダラと長たらしいものになったので、いい加減でしめにしよう。敗戦の翌年2月頃に、私は創刊されたばかりの雑誌「世界」に吉野編集長の委嘱によって「超国家主義の論理と心理」を執筆し、これは五月号に掲載された。この論文は、私自身の裕仁天皇および近代天皇制への、中学生以来の「思い入れ」にピリオドを打った、という意味で ー その客観的価値にかかわりなく ー 私の「自分史」にとっても大きな画期となった。敗戦後、半年も思い悩んだ揚句、私は天皇制が日本人の自由な人格形成 ー 自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して自ら責任を負う人間、つまり「甘え」に依存するのと反対の行動様式をもった人間類型の形成 ー にとって致命的な障害をなしている、という帰結にようやく到達したのである。あの論文を原稿紙に書きつけながら、私は「これは学術的論文だ。したがって天皇および皇室に触れる文字にも敬語を用いる必要はないのだ」ということをいくたびも自分の心にいいきかせた。のちの人の目には私の「思想」の当然の発露と映じるかもしれない論文の一行一行が、私にとってはつい昨日までの自分にたいする必死の説得だったのである。私の近代天皇制にたいするコミットメントはそれほど深かったのであり、天皇制の「呪力からの解放」はそれほど私にとっては容易ならぬ課題であった。実はそのことをいささかでも内在的に理解していただきたい、というのが、私の少年時代からの天皇をめぐる追想をかくも冗長に綴って来た理由にほかならない。(一九八九・一・三一)

(’60、第十四号、一九八九年三月、60年の会)

岩波書店刊 丸山眞男集第十五巻

 

 

 

 

 

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