俺の母親が貴族の藤原氏の末裔であるという静岡新聞社と渡辺と三笠宮と静岡県人の嘘(ノンフィクション・ドキュメンタリー)これは思考盗聴犯罪・皇室による結婚強制犯罪とセクハラ犯罪の告発を目的とした事実の列記でありフィクションを前提とした作り話の文学作品ではない. 事実のみの記載が前提の新聞記事は文学ではないし文学に区分けすることはできない.

俺の母親の家系が貴族の藤原氏の家柄であるとのまったくの嘘が中小企業診断士で社労士の渡辺三義という人物の「静岡県姓名の由来」という静岡新聞社の本に書かれておりこれを根拠にして静岡と三笠宮と創価学会が俺に結婚を強制しようとしている. そういうことはありえないとこの場で何度も否定しているがまた俺が藤原貴族であるとのデマが送信されたので以前作った動画を再公開する. 静岡県に大石は非常に多く特に中西部の掛川あたりは大石ばかりで母の実家の隣村も隣の市も大石ばかりだ. そのなかで母親だけが藤原貴族ということはありえない. 東海道を移動したはずの旅人がわざわざそこから10Kmも離れた大阪村に寄りそこ「一子をもうけた」などどいうよくある家系捏造の渡辺の作り話は絶対に信用できない. 渡辺は社労士で歴史家ではなくこの話をどの古文書によったかの出典も書かれてない. 三義(みつよし)は三笠宮彬子のことで渡辺は静岡市駿河区登呂の静岡新聞社に近い渡辺モータースの渡辺久芳(兄の中学の友人)のことだ. 渡辺が俺を皇室に結婚させて得るだろう利権目当てに三笠宮と大嘘をついている. 貴族なのは父方の宇田源氏の血でこれは大石内蔵助と同系だ. この事実を否定して俺の血のパワーを無力化するために部落の母親の鈴木家の地位を向上させ三笠宮彬子が結婚を迫るための陰謀だ. 皇室といえども源氏には命令できないはずであり源氏の俺を三笠宮や皇后雅子や愛子が奴隷扱いできるはずがないので母親のヨツの血=藤原貴族だという事実無根のデマで源氏を否定しようとしている. 地方新聞社の静岡新聞の本などまったく信用できないので「本の形になったら信頼できる情報である」という勘違いをもうやめなければならない. ネットより本の方が信用できない.

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統一教会・創価学会・東海大・田舎者・皇室の親衛隊を含む日本のバカ右翼勢力が超能力者の俺に敬意を払うのではなく奴隷として扱い皇室と結婚させて右翼の強化に利用しようとしている. 秀でた人に対する尊敬を忘れた日本人. あまりにも醜い. 俺は日本人でないし奴隷扱いしている寄生虫の日本人と皇室に絶対に協力しない. 結婚を強制するなら皇室を殺す. 誰とも結婚しない. もはや男性機能が消失した以上俺に結婚するメリットがまったくない. 株の情報や財産を盗まれるとか損害の方が多い. 自分から家庭という牢獄には入らない. 俺の財産を半分女にやるなんて嫌なこった. よくなついた猫がいるので全然さみしくない. 以前から三笠宮彬子は「お前にコネでノーベル賞をやるから結婚して賞金を半分よこせ」といっているがそんなこと絶対に容認しない. そんな賞いらないし絶対に結婚しない. 俺の超能力者の血は皇室とバカ右翼と日本人には絶対にやらない. 創価学会と三笠宮が画策している天皇制イカサマ神権政治の実現とファシズムと軍国主義の強化に絶対に利用させない.

俺は科学的に証明されていない神や仏や霊の存在を否定しているから宗教も否定している. 宗教など政治権力が人民を盲目にさせ服従させるために作ったイデオロギー(思想)にすぎない. キリストやブッダが宗教を作ったのではなく, キリスト教が統治に使えると判断したローマ帝国がキリスト教を世界に広め, シャカ以後のインドのアショーカ王・カニシカ王が仏教を政治に利用して広めた. 日本の奈良の都で東大寺や薬師寺を作り仏教を広めて統治原理とした聖武天皇も同じことだ. 鎌倉・室町時代に幕府が統治原理として中国から最新鋭の臨済宗という仏教を輸入し武士に広めたのも同じことだ.

宗教を完全否定していた点においてのみ丸山眞男を高く評価する. 若者の自分たちに向けてなかなか東大の学者の立場で「宗教を信じてはいけない」とは断言できないものだ. なんどもここに書いたことだが1990年頃丸山眞男宅から帰ったばかりの中村恭己に聞いた話では丸山眞男は「中村君, 社会科学的にいろんな分野に関心を持つのは大切なことだが宗教にだけは関心持たなくていいんじゃないかな?あんなくだらないものにどうして関心を持つのかね?中世のスコラ学派が神の存在証明をさんざんやったのだが失敗している. だから神は存在しないから宗教を信じてはいけない. ただし宗教を否定すると愚かな人間は永遠に堕落する」といった.

丸山眞男は西洋の形式主義者で伝統主義者であり(日本では伝統東洋文化を否定する革新の左翼)でありクラシックなどのキリスト教文化を容認していたが宗教を信じること自体は強く否定していた. 丸山眞男の東大の師匠の南原繁が熱心な無教会派キリスト教の信者で内村鑑三の弟子でもあったことから丸山がキリスト教徒だというキリスト教会や創価学会側の情報操作による大嘘が広められているが, 眞男は子供のころから眞男の父の大阪毎日新聞の著名記者の丸山幹治の同僚で大正デモクラシーの中心人物でマルクス主義者の長谷川如是閑の薫陶を受け政治から思想からクラシックから歌舞伎から落語まで長谷川の強い影響を受けている. 東大在学中には長谷川の主催する唯物論研究会(講座派共産党組織)に入ったが当時共産党活動は非合法だったので集会に出席した眞男は元富士署に逮捕され留置場で一晩を過ごして涙を流している. (丸山眞男著「いのちの初夜」参照) 宗教はアヘンである=宗教は麻薬のようにそのときの苦しみを忘れさせてくれるだけで根本的な問題の解決に至らずすぐまた苦しみや貧困が襲ってくる, 宗教権威は政治権威と接合されていいるから打倒しなければ革命は成就しない, 権力に立ち向かう闘志を萎えさせる宗教を信じてはいけない, というマルクスの説を眞男も信じていたからキリスト教も神道も仏教も信じていたはずがない. 吉祥寺の丸山眞男家には仏壇も神棚も祭壇も十字架もない. 戒名を否定していたので多磨霊園の丸山家の墓石には丸山健士と俗名で彫られている.

いま皇室や統一教会や創価学会というカルト団体による甚大な被害を受けてみて, 30年前に中村から聞いた丸山眞男の確信に満ちたこの発言がやはり正しかったと今になって追認せざるを得ない. 自分が丸山眞男から授かった唯一の真理の言葉がこの「宗教の完全否定」だといって過言でない. 俺のように自然に従って生きようと考えれば宗教を否定しても堕落することはない. 自然を顧みて自分の矮小さを知れば皇室や文鮮明や池田大作のように「自分が神だ」などど傲慢になって永遠に堕落したりしない. セックスしない酒も飲まない俺ほど清らかな人生を歩んでいる日本人はいないのではないか?

カルト教祖の大半が実は神仏を信じない無神論者だ. 麻原彰晃は中村恭己と同じ毛沢東主義者だ. 神を信じていないからこそ統一教会のように大胆に信者をだまして金を巻き上げるような神に反する行いを平気ですることができるのだ. 丸山眞男に近いイギリスの社会民主主義者のフェビアン協会(フェビアニズム)の会員にノーベル平和賞受賞者で「ラッセル・アインシュタイン宣言」で知られた哲学者のバートランド・ラッセルがいる. 社会主義者のラッセルは宗教を否定していたが革命でも宗教権威はなかなか打倒できないと悟り教会と聖職者を社会主義化させ骨抜きにする方法を考えた. 宗教を否定する社会主義者を聖職者に送り込んで宗教を革命に利用するという考えだ. ラッセルはイギリス貴族のラッセル家の一員だがアメリカに渡った一族にエホバの証人を創始したチャールズ・テイズ・ラッセルがいる. エホバの証人は異端派のキリスト教で一時ハルマゲドン(最終戦争と世界終末)を唱えていたことからカルトと見なす人も多い. 無神論者が宗教を政治に利用した典型的な例だろう.

「大石智巳(兄)が自殺してない」という嘘を送信するのをやめろ静岡. 三鷹市の老人ホームにいる母親はかくしゃくとしているので兄が名古屋の井上真由美に結婚を拒否されて自殺した事実について詳しく証言するだろう.

中高生の兄は母親と年下の俺に日常的に暴力をふるう卑怯な人間であったことを母親は証言するだろう. 卑怯なことに兄は父には一度も暴力をふるわなかった. 兄は包丁で母親を脅し命令していたので母親は刃物恐怖症にかかった事実についても証言するだろう. 小中学生の俺は3つ年上の兄の暴力に勝てなかったが高校に入って体格が同じになったとき徹底的に兄に反撃して顔をぶん殴って腹をけり上げたとこころ兄は「グエ~」とうなって以来一度も俺に手を出さなくなった. 俺に命令することもなくなった. 俺が中学の卒業文集に「死にたい」と書いたのは兄に毎日暴行されている事実を学校に訴えるためだった. しかし卒業間際で静岡市立城内中の国語の若い女性教師は「がんばってね」といっただけで事情を聴こうともしなかった. 家庭内の暴力と虐待には学校も親も地域も行政もあてにならない. バレないように虐待するのがイジメだからだ. 自分が強くなるしかないと悟った.

自殺は人生の敗北であり極めて幼稚な日本の作家のように自殺を美化することは許されない. 新たな自殺者を呼び込むからだ. 27歳で兄が自殺したとき俺はまだ24歳. 実際身近な人間の自殺というのは父親にも母親にも俺にもあまりにも大きな負担となりその後の人生を苦しめた. はっきりいって自分勝手に自殺して家族を巻き込んだ兄に腹立たしく今も兄を許せない. 自殺という負け組を美化するのは日本人の文学者だけで悪影響が大きすぎる. 学校教育の現場で太宰治や川端康成や三島由紀夫らの自殺した作家の日本文学を絶対に読ませてはいけない. 醜い自殺を「甘美な自殺」と若者に思わせちょっと人生に行き詰まるとすぐ自殺する若者を生み出す. 自殺してもみんなが誉めてくれると勘違いさせる. カルト思想と同じく日本文学をフィルタリングソフトで若者の目から排除すべきだ. 兄を神格化して儲けて町おこしに利用している静岡県人=渡辺久芳(慶応大卒)や山梨秀人(早稲田大卒)や平口康成(慶応高・大卒)や服部(滋賀医大卒)ら, 1987年に杉並区堀之内の火葬場で開いた兄の葬式にやってきた同級生と静岡県人が, 兄を美化して口裏を合わせて当時の衝撃を忘れ「自殺の事実はなかった」などということは絶対に許されない. 永遠に堕落している静岡人. 兄は静岡をひどく嫌っていたので藤枝の墓に埋めたことを気がかりに思っていた. 兄の望みどおり都内の墓に遺骨をすべて移したので「遺骨を藤枝の墓に戻せ」などと未だにいっている藤枝霊園の曹洞宗の盤脚院や藤枝霊園に墓があるカトリックの芥川賞作家の小川国夫の主張は絶対に通らない. 葬送にはどのようにするかを決める自由が遺族にあり(無宗教形式でやる自由も葬儀を開かない自由もあり)遺骨の所有権は遺族にある. 遺骨は寺の所有物ではないし死者の祭祀を遺族に無断で行うことは許されない.

若者はいつの時代も自殺したがっている. 自殺したい気持ちを後ろから後押しするような三島や太宰や川端の小説を絶対に読んではいけない. 人生の敗北者が傷口を舐めあう世界=日本文学の世界に将来がある若者を引き込んではいけないい. どんな理由があれ自殺は敗北だ. 哀れに思っても褒めたたえたり美化してはいけない. 自殺はもっと醜く情けないもので回りに多大な迷惑をかける行為だということを教師や親は若者に理解させなければならない.

切腹とは死罪になった武士が「武士ゆえ磔串刺しの死刑ではなく切腹を許す」(切腹の直後介錯されるので楽に死ねる)と認められた公的な処刑のことで三島由紀夫のように死罪にもなっていない者が好きで腹を切った行為については切腹とはいわない. 武士とは戦士のことであり戦って死ぬならまだしも三島由紀夫や野村秋介のように自殺することは許されない. 誰にも死ねと命令されていないのに腹を切った三島由紀夫のそれは強い性的快楽殺人願望があった三島由紀夫の個人的な自殺そのものであり美化して武士の切腹にすりかえてはいけない. 本人は好きな男に介錯してもらって一種の腹上死で満足だたろうがそれを特攻隊や武士ににこじつける三島は汚らわしい. 戦死者を愚弄している. 三島による武家文化と日本文化の捏造だ.

三島はその死の7年前にベトナム戦争に反対して公衆の面前で焼身自殺した僧ティック・クアン・ドックのマネをして腹を切ってパフォーマンス自殺したのだと思う. この僧の焼身自殺の映像は世界を駆け巡って衝撃を与えたので当然三島も見ている. 自らの体を傷つけて訴えるやりかたはアジア特有で三島のは韓国人が国会前で行う指詰めの抗議にも似ている.

正真正銘のゲイの三島由紀夫は「柔らかい腹に刃物を突き立てる」情景に異様に興奮したと自分で書いており腹に矢が刺さって出血している「セバスチャンの殉教」の絵を見て何度もマスターベーションしたと自分で書いている. 誰かを殺すところを妄想する快楽殺人願望の趣味を持つ者は危険でありタチが悪く絶対に容認されないが三島はその願望をハラキリ自殺で達成しおそらく射精しながら男に介錯されたのではないか?三島由紀夫の大ファンの中村恭己の話によると三島が自殺したとき澁澤龍彦が(政治的な死ではなく)「単なるエロティシズムの問題だ」と性的な自殺であることを喝破したという. マルクス主義者でタレント評論家の大内兵衛は「坊ちゃんだな」と高級官僚の息子で小学校から学習院・東大卒で世間知らずの三島由紀夫について論じたという. 美輪(丸山)明宏は自分の店に来た三島の肩に手を当てジャケットを脱がしたとき「あら~三島さん肩パッド入れてらっしゃるのね」といったという. だから当時はそんなに優れた作家だとはこれっぽっちも思われてなかったし自殺した際のニュースの扱いは小さかった. 神格化されバカ右翼に尊敬されるようになったのは死後に出版社が大々的に開いた憂国忌からだ. 死後の評価をどう変えるかがその後の小説の売り上げを決定する重要なセールスであることを出版社は知っていた. 次は石原慎太郎の命日に「ヨット忌」とか開かれて神格化されて出版社の金儲けに利用されるのではないか. 三島由紀夫がゲイであった事実については三島の遺族(妻)から出版差し止めされ発禁になった三島の愛人の福島次郎の「剣と寒紅」に詳しく赤裸々な三島とのホモ関係が書かれている. 「肉好きの三島さんの体からは糞臭がした」との福島の発言や福島と旅行した三島が地方の中学校の門の白色セメント製の若者の裸体男子像を見て見とれたという話には苦笑した.

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