(ドキュメンタリー・ノンフィクション)現実に起きた事実の記憶に基づいており作り話はない. 小説や文学作品ではない. ホラーやファンタジーではない.

なお東海大附属小で仲の良かった女子は同じ武道部(剣道・少林寺拳法部)員の竹内嘉苗で込山由美ではない. 竹内の家は内科医なので金持ちで勉強ではライバルだったが公認会計士の息子さんだからいいと自宅に遊びに行かせてもらったこともあるので幼なじみに近い. 同じクラスで部活動も同じだったので小学校でほとんど一日顔を合わせていたことになる. そしてどちらもエスカレーターでバカの東海大付属中には進学せず静岡市の国公立中学に通った. 俺は静岡市立城内中で竹内は静岡大付属中で二校は隣同士に位置しているので3年間やはりそばにいたことになる. そして高校は同じ静岡県立清水東高に進学したのでよくよく縁がある人だと思っていた.  その後竹内は国立の東京医科歯科大に進んで歯科医となり現在東京都北区上中里で歯科医院を開いている. 2019年に上中里の竹内嘉苗に会った際の表情の限りでは俺を苦しめるこの弾圧に加わっていないと思えるが地縁やしがらみで捜査協力するよう縛っていく公安警察のこと, 竹内の親が清水区で竹内内科医院を開いているのでわからないが, 込山のこと何とかならないか相談しに行ってみようと思う.

清水区大手で暮らした少年時代, 地元の最寄りの小芝八幡神社(通称おしばさん)の祭りにはよく行ったがその看板に書かれた主祭神が武内宿禰で竹内と何か関係があるのかな?といつも思っていた.

この神社には不思議な力があると感じてきた. そのすぐそばのガソリンスタンドの前に昔よく当たると評判の占い師がいた. 1980年ごろ兄が数日帰宅せず心配した親が警察に照会する前に近所のその占い師に聞いてみることにした. するとその女性占い師はしばし考えたのち「おしばさん(小芝八幡)にいる!」と断定的に言った. 半信半疑で母親が小芝八幡に向かうと道の先の入江岡方面から兄が歩いてきたのでギョッとした. 占い師には兄がやってくるビジョンが見えたのだろう. 一同驚いていたが自分のことが問題にされていた事情を知らない兄はいつものように世間知らずの苦労のない表情を浮かべていた. その占い師の家は2009年に俺達一家が清水から逃げるように転居したのちどこかへ消えていた. その前に占い師の家の隣にあった日本そば屋は放火で全焼していた. 焼け焦げた土地に債権回収会社「やすらぎ」の看板が立っていたのを覚えている. そばは俺が好きな食べ物だから放火が好きな公安警察の仕業と思われた.

清水東高を受験する際小芝八幡神社に願かけするため半年間毎日参拝した. 結果合格することができたので霊験あらたかという近所の評判は本当だと思った. 実は小学校時代にすでにここで不思議な体験をしたことがある. 小学4年のとき川に落ちて死にかけて以来あの世や霊に強い関心を持った俺はある本で「神社で霊を呼ぶには次のようにしたらよい」と読んだ. 理科好きで実験好き少年の俺は小芝八幡神社でそれを実験してみることにした. 書かれた通り一番大きな木の根本に砂を盛って山を作り用意した鏡で上部を平らにし「どうかおいでください」と祈った. 翌日来てみるとなんと平らな部分に何かが歩いたような蹟があった!これには流石に少し怖くなり厳粛な気持ちにさせられた. 小芝さんに多く住む野良猫の足蹟だったのかもしれないけれども・・・・この事実は東海大附属小の下級生で自宅隣の住人でいつも金魚のフンのように俺についてきた糠谷兄弟が見て知っている. その後糠谷はカトリックの静岡聖光学院中高に進学して1995年-2009年まで警察と一緒に俺を弾圧してきたので小芝八幡での招霊実験は知らないと否定するだろうが・・・・

もし小芝八幡神社の巡り合わせというなら竹内嘉苗ということになるだろう. 竹内には歯科医の夫も子どももいると思われ無理は言えないが・・・・元長銀総研のエコノミストの竹内宏は清水東高卒で竹内嘉苗の親戚だ. 静岡経済研究所所長で同校の同窓会長でもあった. 竹内嘉苗と経済の話をしたことは一度もないけれども.

静岡市清水区小芝町の小芝八幡神社

(6:16) 写真左の看板に「祭神     品陀和氣命(応神天皇)   大雀命(仁徳天皇) 武内宿禰」と書かれている. 応神天皇はホムタワケなので本田天皇ともいう. 武内宿禰は天皇5代に仕えたとされる伝説上の武人の忠臣だが有力豪族の祖とされ実在説が強い. 明治〜昭和の日銀券の肖像にもなったので日本人にはよく知られている.  通常八幡神社は源氏の氏神とされるがそれは八幡神と同化した源義家(八幡太郎義家)が祭神に加えられていることが多いからだ. 東北の蝦夷征伐の前九年の役で蝦夷の安倍氏を討った源義家(八幡太郎義家)から武士は始まっているといってよく源頼朝や足利尊氏は源義家の子孫だ. 源義家の弟の源義光の子孫が甲斐の武田信玄だが実は小芝八幡の場所はかつて武田信玄の小芝城(江尻城)があった場所だ. 大石敦巳の生家の清水区大手の大手(大手町)は小芝城の大手門を指す. 付近の清水区二の丸は小芝城の二の丸を示す. 小芝城は甲斐(山梨)の武田信玄の駿河(静岡県中部)攻略の拠点とされ武田の重臣の穴山梅雪が居城したこともある. 従って小芝八幡も八幡太郎義家を信仰する武田信玄の源氏の神社だということができる.

きのう山梨のやまなしの意味について調べているとドキリとした. やまなしは「山平(な)らし」で山を平にする意味だという. また源氏を示す言葉だという.

(8:45) 竹内と所属した剣道部で他校と対戦して勝った思い出がある. 場所は旧清水市草薙の現在の有度第一小か有度第二小だったと思う. 近くに草薙の剣に関係がある草薙神社がある. その小学校の剣道部には女子がいなかったので竹内は対戦せず男子の対戦を見ていた. 剣道では声を出すことが大切でそれも技の一部だといえる. 十分な声を上げて間を詰めるとまだ当たってないのに敵が退歩しながらつまづいて倒れた. そこをメーン!と打つと一本となり勝利した. 声だけでよく敵が倒れることがある. (合気道ではない剣道だ. 武士は声だけで敵を倒した) 剣道は武士の真剣の殺し合いが元でスポーツではないので倒れた敵はどんどん打っていいことになっている.

草薙神社の由緒によれば本来ここにあった草薙の剣が熱田神宮に奉納されたのだという. 静岡県には草薙の剣で焼け原の草を薙ぎ払って消したと伝えられる焼津(やいづ)など草薙の剣に関係した地名が他にもあるので本当にここが日本神話にある地なのかどうかは知らない.

一昨日この話を自宅で話して録音したがその夜の送信で公安警察(または静岡地検)らはジャニーズの草薙を送信してきた. 神器の草薙の剣に対する何たる冒涜か!警察は反日そのものだ. 警察は自分たちの権力拡大のためなら本当は神道も天皇も神器も日本文化もどうでもいいのだ. 警察は日本政治では天皇よりも天皇を担ぐ者に最大の権力が集中することを知っている. だから「神輿(みこし)に乗せる者は軽ければ軽いほど担ぎやすい. バカや女や子どもであるほど担ぎやすい. 神道の天皇ではなくキリスト教の天皇でも女の天皇でも犬でもなんでもいい」と操縦しやすい女性を天皇にしようとしている. 女性皇室は全員キリスト教徒だ. 警察や北朝鮮や中国やロシアが最も嫌がるのが賢い男性天皇だ.

(09:55) 静岡市での神社体験をもう一つ.

2007年運転免許を更新するためJR静岡駅で降りバスで静岡市葵区与一の中部運転免許センターに向かった帰りのバスでのことだ. 昭府(しょうぶ)付近で男子小学生が一人で乗ってきて俺が座っていたバスの左側の席のすぐ前に座った. 他に乗客はいなかった. 田舎の子は無邪気で手に持ったビー玉をバスのレールにコロコロ転がして遊んでいた. バスが揺れたときレールのビー玉がぴょんと飛び跳ねて男児はあっ!と叫んだ. 俺の方に飛んできたそのビー玉を左手でキャッチした. (俺は本来左利き. 東海大付属小学校で筆記を無理やり右に矯正されたので右手も使える) ビー玉は透明なガラスに橙色の斑が入っていた. それを男児に黙って手渡すと不思議そうな目で俺を見た. 窓の外に何かの気配を感じ左側を見ると「妙見山井宮神社」と書かれていた.  その前年に秋篠宮悠仁が誕生していたので(母親の紀子は静岡市生まれ)橙のビー玉は悠仁のことだと思った. 妙見のお告げだと思った.  次の玉体を継ぐのは悠仁だと告げていると思った. 妙見とは何の神かを知っていたからだ.

妙見とは妙なる目=よく見えること=事態や将来を見通す目の意味だ. 転じて星がよく見える=北極星または北斗七星(北辰)の神格化とされ天皇大帝(てんのうだいてい)ともいう. 妙見像は剣を持った武人の姿で描かれ戦いの神でもあるので武士の崇敬があつい. 千葉市の語源の武士の千葉氏が妙見信者で千葉周作が創始した北辰一刀流の名も妙見からだ. 妙見山井宮神社は晩年静岡市の駿府城で隠居しそこ生涯を終えた徳川家康が当地に招来した神社だ. (城内中は駿府城内中の意味で駿府城跡にある)この妙見山井宮神社の妙見山には妙見山古墳があり賤機山古墳群が点在している山なので江戸時代以前の古代から信仰の地であったことがうかがえる.

(10:45)

静岡市葵区籠上の妙見山井宮神社. 

妙見は仏教では特に日蓮宗で信仰されており刀を持った中国の武人姿の妙見像が拝まれている. しかし神社系ではみずら姿の日本化された妙見像が拝まれている.

この正力松太郎コレクションの重文の妙見像はなんと伊勢神宮の外宮にあったものだという. 正力が伊勢神宮宮司家の渡会(わたらい)氏から買い求めたもので現在川崎市多摩区のよみうりランドに所蔵され誰でも見ることができる. 妙見は元々中国の道教の神で伊勢神道に取り入れられていたが明治以降の国家神道化の過程で邪魔者にされ伊勢神宮から排除され正力松太郎に売られたものだろう. しかし伊勢神宮の神はどこからか海を渡ってやってきて「わしはここを好む」といって伊勢の地にとどまったと伝えられているし宮司の渡会の名前は海外から渡海してきたことの暗示であるし江戸時代までは神仏混交の神道が主流で神社に五重の塔があったり仏像があるのが普通だったので妙見像が伊勢神宮にあってもおかしくない.  妙見山井宮神社前で男児の橙色のビー玉を受け取ったころ清水区の自宅で日々風を吹かせる練習をしていた. 二本指の手刀でやるとよく風が吹くことに気づいていた(クラシックの指揮とかカトリックと言われるので最近はやってない) 仏像に関心を持つ俺はこの手刀を切る妙見像を知っていたので風と妙見が関係あるかもしれないと考えていた.

(14:42) ここまで書くとまた公安警察または公安庁(法務省の公安調査庁)が竹内嘉苗ではなく剣道の経験がある三笠宮彬子と結婚しろと送信している. 日本は役人がゴミ. 警視庁公安部・警備局・公安庁(公安調査庁)・内調(内閣情報調査室)・特捜(東京地検特捜部)・自衛隊情報保全隊といった日本政府の諜報機関が林立しそれに歯止めをかける法や制度が存在せず違法捜査がやり放題なのがゴミ.

ついでに神社と秋篠宮がらみで2009年の清水区で体験した事実を書く. 今年の立秋は4日前だったが2009年の立秋は8/7で熱中症になりそうな猛暑の中を自転車で走っていた.

そこは地図を凝視して実地調査して見つけた(多分)久能街道だった. 久能街道とは徳川家康の墓がある久能山東照宮への参詣道で昔は賑やかだったと思われた. 静岡市の駿府城で亡くなった徳川家康は本人の希望で静岡市の久能山に埋葬された. 家康は仏教の補陀落信仰の信者で「南海の果てに極楽がある」という補陀落説話を信じていた. 久能山に面した海は青く温かいのでここを補陀落と見立てて埋葬地に選んだという. しかし家康を神となして徳川の守り神とするため幕府は日光東照宮を急造し1年後に遺骨をそこに移した. 従って久能山東照宮に元の墓はあるがもう遺骨はない. 

2009年の猛暑の立秋の日に久能街道に面した神社の前を自転車で走っていると不意に赤とんぼが眼の前に現れた. このとき感動して思わず一句浮かんだ.

立秋や熱風泳ぐアキアカネ

普段から作句などは全然していないが子供の頃から語呂合わせの言葉遊びは好きだ. 8月のお盆に近い最も暑いこの季節に秋を告げる虫赤とんぼは現れる習性がある. まだ秋ではないがお盆を過ぎると暑さは盛りを過ぎ秋の気配を感じるようになることを日本人なら誰でも知っているだろう. このアキアカネについて三笠宮彬子であると警察がデマを流して結婚を強制しているが全く違う. 立秋の秋は秋篠宮の秋であり三笠宮彬子の彬と字も意味も違う.  このとき秋篠宮悠仁はまだ幼児だったがその後小学生になってトンボに強い関心を持って研究対象にしたのでアキアカネは悠仁天皇と日本の将来を予言していた. 日本を表す古語を秋津島(あきつしま)というがこれは神武天皇が日本列島を見て秋津(トンボ)のようだと言ったことからきている. 雄略天皇も日本を秋津島と呼んだことが古事記に書かれている.

このアキアカネの句を作ったとき8月15日の終戦記念日が近いこともあり「赤とんぼ」は日本軍のパイロットや特攻隊を養成した予科練(予科練習隊)の練習用複葉機の通称であることを思い出していた. 「赤い血潮の予科練の〜」の軍歌で知られる予科練のことだ. 8月12日には520名が亡くなった日航機123便事故が起きていた.  盆の期間は地獄の蓋が開くというが当時の日航機のペイントは日本軍機の日の丸を思わせるような赤丸の鶴のマークで特攻機のように御巣鷹山(高天原山)に突っ込んで史上最大の航空機事故となった. 東海大附属小は今の東海大翔洋小とは場所が違って三保灯台の真下にあった. 終戦前三保灯台の下には予科練の部隊が存在した. 

 

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