2024/10/9 23:55 ノーベル賞受領は拒否する(ノンフィクション・ドキュメンタリー)

先日の洛北倶楽部でTBSの曺琴袖にこのWordPressのURLを記した名刺を渡したがそれをとって洛北高校同窓会関東会会長の田中均(京大法・オックスフォード大・外務省・東大大学院公共政策学客員教授・日本総研)とその場にいたサンマーク出版の植木宣隆(京大文卒)が俺の書いたものを無断で違法出版しようとしていることが、現在も続く法務省の刑務官による送信でわかった。(静岡刑務所の刑務官=拷問役人と思われる) 最初から強制出版させる目的で田中が曺琴袖を使って俺をおびき寄せたようだ。日本総研の田中や出版人の植木なら当然わかっていようが著作権侵害と出版権及び公衆送信権の侵害に対してはただちに訴えるからそのつもりで。俺は曺琴袖に名刺を渡しただけでTBSにもサンマーク出版(アムウェイ本多し)にも出版や動画の公開や著作権の譲渡を認めてない。ここで警告してもなお違法出版を強行するなら田中、お前も日本総研も地に落ちることになる。しかしやることが暴力団並みだな田中。お前どこでそんな卑劣なやり方覚えた?生まれつきか?お前の好きな北朝鮮か?外務省の後輩で新日本窒素肥料(JNC)社長の江頭豊の孫の皇后雅子か?田中だけでなく会の幹事の品川の食肉工場隣のコクヨ勤務の清水は以前の同窓会でも俺の席をサンマークの植木と同じテーブルに設定するなど出版を強制しようとする悪質さが目立つ。日経からバートン・マルキールの翻訳本を出版している鹿野(かの)もきていたが翻訳はブラックロック・UBS勤務の鹿野の夫がしているとのことだった。鹿野の夫は失礼にも名刺交換を拒否した。中村紘子の「ピアニストという蛮族がいる」とかのベストセラー本はその夫の芥川賞作家の庄司薫(東大丸山眞男ゼミ出身)によるゴーストライティングだという事実をここに書いたことに対する出版界と作家の仕返しのようだ。静岡と作家と出版界に金を落とすことになるノーベル賞の受領は絶対に拒否する。静岡の作家やカトリックが寄ってたかって嘘で固めてバカ兄の大石智巳が天才で偉人だったという話を捏造して、智巳は生前に一度も動画を撮ったこともないのに(ホームビデオカメラがまだこの世になかったので)俺が撮った動画の労作やここに公開してきた文章や写真まで智巳の著作物だと嘘を流布し、俺の著作権と公衆送信権を剥奪しようとしているプロテスタントの石破の日本政府と法務省の刑務官の策略に非人道的な権力の一端として加担している恥知らずのノーベル賞を受け取る気はまったくない。静岡の町おこしに利用され著作物も賞金もカトリックや統一教会に奪いつくされる予定のノーベル賞を受け取ることに自分にメリットがまったくない。俺の著作物を「文学」だと認めることはそれが実話ではなくフィクションの「小説」の作り話だと認めることになり日本政府への損害賠償権を失うので絶対に受け取らない。録画したり書いたりしてきた記録は今後の裁判で証拠として使う予定なので出版・公開しないし譲渡しない。ネオナチ=ノーベル賞からの電話を受け取らないように今電話の電源は切ってあるし明日勝手に俺の名前を受賞者に発表しようが授賞式に行かなければそれでいいだけだ。勝手に銀行口座に賞金を振り込んできたら即刻銀行に組み戻しを依頼して送金者に返金する。1996年にNifty-Serveに俺が書いて予想した通り、大江健三郎らの作家や日本文学や金で釣るだけのノーベル賞の権威は地に落ち、ノーベル賞は誰にとっても名誉とは無縁のカネクレの恥ずかしい賞となるだろう。ノーベル医学賞の学者や丸山眞男ら東大の社会学者は俺の体を使って人体実験や社会実験してデータを取ってボロ儲けしてきたのでノーベルアカデミーは俺に賞金を受け取らせて黙らせた方が損害賠償請求を封じることができて有利と判断しているようだ。

石破首相が法務大臣に選んだ牧原秀樹は統一教会と関係が深い人物で近所の麻布中高から東大法卒。石破は統一教会問題がでるたび「信教の自由は守るべきで・・」とか「魔女狩りにならぬよう・・」とか一貫して統一教会をかばってきた人物。石破が強硬なプロテスタントだからだ。何かよくわからない過程で急遽石破に首相に決まった感があるが、俺が統一教会を叩いたので天の声(ア*リ*さん)で統一教会の擁護者の石破が選ばれたように見える。牧原は麻布中・高だからここ南麻布にも縁があり弾圧を強化するのは必至なので俺の苦境は強まると思われる。まだ浄土真宗信徒の岸田の方がましだったのかもしれない。しかし統一教会の力を使って当選するような議員の存在を名門の麻布中高は恥に思ってもらいたい。しかし麻布中高の創立者は東洋英和女学院と同じ江原素六(静岡県沼津市のプロテスタント)なので麻布中高は隠れミッション系といえるので統一教会にも甘いのだろう。

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俺が洛北高校1年でコムデギャルソンを着ていたことについて、寄生虫静岡県人とゴミ学者の丸山眞男一派と東大が「大石敦巳がコムデギャルソンオムを着ていたのは思想に関心があって吉本隆明や丸山眞男の影響を受けたからだ」と嘘を広めているのが就寝中の送信の虐待でわかった。もうお前ら地方とゴミ学者の歴史捏造の悪行が露呈するだけだからやめておけ。俺がコムデギャルソンオムを着たのは洛北高に入学した1980年のことで吉本隆明が「コムデギャルソン論争」で同社の服を着ていると批判されたのは1884年のこと。俺が都立高に転校して卒業したのが1983年。このころすでに中村恭己(丸山眞男先生の命令だからと)に美大をやめさせられクラシックをやらされ「コミューン」の中村の家で共同生活を強制されていた。ファッションと美術も捨てるように言われクラシックとアムウェイを強制されたのでコムデギャルソンなんて「コムデギャルソン論争」のときにはもう着ていなかったし、なんかよく知らないが名前はよく聞く吉本隆明って人がコムデギャルソンオムを着たって話題になってるようだがもう時代遅れの服だからどうでもいいんじゃないの?としか感じなかった。だから俺が吉本や丸山の「思想」の影響でコムデギャルソンオムを着ていたなどという事実はまったくない。ファッション好きの人種は思想や文学といった頭でっかちで醜い人種の対極。俺よりずっと前の世代の学生たちが左翼政治運動をしていたがそういう奴らをしらじらとした目で見てバカにしていたのが俺たち「ノンポリ」「白け世代」の特徴。そういう政治運動とか思想とかの無駄に人生を費やすのではなくて、異性や娯楽に関心を持って人生を謳歌したいと思った願望の発露がファッションやオートバイやロック。だから「日本の思想」とか「共同幻想論」とかの思想書を手放せない中年世代には強い反感を持った。安保闘争が完全な敗北に終わってなんの政治的成果も掴めずただ学校や町を鉄パイプで壊して東大の入試を中止させて大学を一年間も休業させた左翼テロ学生運動の本質が、社会の変革にあるのではなく学生が単に学校をサボってお祭り騒をやりたかったにすぎないことを「思想書を捨てて学校や職場に戻れ」と京都の神格化された極左フォークシンガーの岡林信康でさえ言った。そのとき「祭り(革命闘争)は永遠に終わった」はずなのに、丸山眞男を青春のアイドルと見た全共闘老人世代が今また「革命リバイバル」「部落解放リバイバル」をやる愚かしさ。俺が中学高校時代に直観した「政治と思想に関心を持つ奴はゴミだ。ブスとブオトコばかり」の感は今でも変わらない。小学校時代に読んだ赤塚富士夫の天才バカボンでフェミニスト(ウーマンリブ)のブスがバカボンのパパにいちいち「ナンセーンス!」と批判する話で、ナンセンスの意味が分からないパパが「熱海オンセーンス!別府オンセーンス!」と温泉名の羅列で対抗するとブスがたじたじとするという話に笑った。これで化粧っ気のない政治をやる女というのは顔が悪いから政治や思想をやるのだな、と小学校高学年の俺は思った。しかし成人して次男が精神分裂病で自殺した丸山家をみたとき、軽い知的障害を持ったバカボンのパパとその息子のハジメちゃんはIQ200の天才だという設定が、現実の学者一家にはよくある話なのだなと思った。眞(まさ)に「天才と*チガイは紙一重」を地でいく丸山家だなと笑った。

俺は高校時代にコムでギャルソンオムだけを着ていたわけではない。川久保の服は人気だったがモノトーンばかりで暗くあまり好きではなかったので俺は菊池のメンズビギの方を好みスーツを持っていた。他にワイズフォーメンやニコラも着た。これらの服はバカ兄や雑誌の影響からではなく俺は中学時代から服飾に興味を持ち静岡でも買っていた。当時京都では河原町のファッションビルの京都BALが有名で俺はここに行って各ブランドの実物を見て選んで買っただけだ。だからコムデギャルソンだけとかビギだけとかではなく、ブランド品であっても単体のデザインがよくなければ仕方ないのでブランドは問わず売り場で気に入ったのを買っていた。あと寺町通の藤井大丸でも買った。バカ兄が雑誌のポパイを見てショットのボンバー型皮ジャンを買って軟弱な体に似合わないのによく学校に着て行ったのは藤井大丸で売っていたものだ。一時イーロン・マスクがボンバー型の皮ジャンを着てマリファナを吸う動画が広まったがマスクもバカ兄神格化工作の宗教の一員で俺をバカにしていたと思われた。しかし兄は麻薬を一切やったことがない。暴走族でも不良でもない。ただ2年もダブった京都市立紫野高校生で車ばかり乗って勉強もできない「おっさん」だと兄の同級生には見られていて韓国人の青松以外に友達はいなかった。静岡では官憲と教師の力非常に強いのでバカ兄はそれを無視してマリファナや麻薬をやる度胸を持った人物ではない。

服を売り場で決める俺と違って兄はポパイやホットドッグプレスというマニュアル雑誌に載ったのと同じ服だけしか買わなかったので、それが藤井大丸にあったのでしかし外人体型用で腕が日本人には長すぎ袖が手先まで届いていたが、雑誌に載った服だからと自信を持って強迫神経症の兄は学校に着ていった。でもやせ型で背の低いバカ兄には全然似合っていないし皮ジャンも猟師風で恰好悪すぎた。文学好き特有の自意識過剰タイプで自分がどう見られているかだけは最後まで理解できなかったようだ。人の目や評価ばかり気に病んで髪型を気にして鏡台の前で何時間も座っているた。作家になりたがっていたが審査員に評価されるのが怖くて文学賞に作品を応募するようなことはできなかった。強迫神経症で中野の部落地区の鍋横の鈴木知準診療所に入院した兄に「そんなに人の目を気にしなくていいから・・誰も見ていないから・・。特に東京は何を着ても着なくても全然誰もみていないから。アイドルじゃないだろ。」と助言したことがある。当時新宿では全裸のストリーキングや全裸の朝日新聞配達員がおり、それらでさえだれも気に留めないのでバカ兄のことなんか本当に誰も見ていなかったのでそんなことばかり気にして雑誌の権威に従って高い服しか着れない兄を情けなく思った。(制服しか知らない大内純子もこれに似ている。東洋英和生はバーバリーがお好き。)兄が27歳で死ぬ前によく着ていたのはどこのブランドか知らないがVネックになった襟元に靴紐のように紐が通してある服だ。なんというかおとぎ話の王子様風の服だ。兄がこれを好んだ理由は兄が子供のころこれに似た王子様風の服を母親がいつも着させていたからだ。もう27歳になってまで母親の影響を脱せない兄を恥ずかしく思った。清水区の入江南町・淡島町地区部落の中村塗装店の長女で明治大副学長の牛尾奈緒美も東海大付属小で知っている小学生の兄が母親のトイプードルだった時代ならいざ知らず、ヒゲやスネ毛モジャの兄の高校大学時代に兄に接近する学校の女性は皆無だった。そりゃ、性的魅力がないから。母親から自立できない、学校行けない、働けないような男は。(兄は生前一度も労働で金をもらったことがない。バイトもしたことがない。親から貰う小遣いだけで生きていた。日産スカイラインも親に出させた。俺は高一で洛北高の毛呂に誘われて下鴨生協で野菜の袋詰めのバイトをした。)

洛北に入学したときはもうマニュアル変速式のバイクに乗っていたから防風性が良くないボンバー型皮ジャンを好まなかったし田舎の猟師や林業のおっさんみたいで恥ずかしいので着なかった。(このバイクは洛北高クラスメートの生瀬に売って俺はもっと大きいのを買ったので、生瀬は俺が高一でコムデギャルソンやビギを着ていたことも知っている。生瀬がスクーターではなくマニュアル式のバイクに乗りワイズフォーメンを着ていたのも俺の影響だ。俺はパンクファッションがやりたかっただけなのでボンバー型ではなく防風に優れたライダー型のダブルの皮ジャンでなければダメでデザイナーズブランドでいいのがなかったのでバイク用品の皮ジャンとバイク用ブーツを着ていた。映画をほとんど見ずにキネマ旬報とかの映画評論の大ファンだった兄は「真夜中のカーボーイ」や「夜の大走査線」とかの評論に感動しそれらを映画館ではなく全部静岡放送の深夜番組で見ていた。特に「真夜中のカーボーイ」の主人公を気に入って真似をしてウェスタンブーツを履いていた。しかし東京でウェスタンブーツを履く人は女ばかりで隣でカツカツ歩かれると一緒に歩くのが恥ずかしかった。「聖子ちゃん風の段カットにしてください」と美容院でいう兄も恥ずかしかったし、車で松田聖子とサザンばかりかける兄も恥ずかしくて一緒に車に乗らなくなった。ジャニーズの沖田浩之にあこがれて沖田の真似をして就寝前に目尻をテープで引っ張って貼って顔型を変えようと眠る兄も恥ずかしかった。聖子ちゃんカットって、それで男かよ、と思った。カマなのは俺でなく兄。だから兄の静岡大付属中の同級生の工藤に「ホモミちゃん」と呼ばれていたんじゃないか。背が低いのでジャニーズは諦めて劇団四季に入りたがっていたし朝鮮人の唐十郎と李礼仙の状況劇場が兄の現住所と同じ浜田山にあったので見に行ったが、しょせん強迫神経症患者が病気を克服するために始めたこと、プロの俳優になるのには無理があった。兄の強迫行為は止まず死んでしまった。

牛尾(旧姓中村)奈緒美及びさくらももこ(三浦青果店)の生地の静岡市清水区入江南町・淡島町・新富町について。ここは幹線道の旧東海道から外れて久能街道に折れた数十mの地区。統治者が東海道に出入りする旅人を監視する目的で部落を置いたのだと思われる。部落民は警察機構の末端を担っていた。江戸時代の同心(警官)の下っ端を岡っ引きという。岡っ匹とも書く。武士ではないので刀は持てず十手を持った。めぐみ幼稚園の隣の民家には油木地蔵が今も残っている。油木とは毒荏・毒桐のこと。樹液は有毒だが塗料や皮なめしに使われた。牛尾奈緒美は皇后雅子の田園調布雙葉中高と同じ系統のカトリックの静岡雙葉女学園中高卒。さくらももこは日本平動物園の隣にある静岡英和女学園大卒。静岡英和は東洋英和や麻布中高や青山学院や石破茂首相と同じメソジスト派のプロテスタントの学校。東洋英和と麻布中高を作った静岡県沼津市出身の江原素六がメソジスト派。牛尾奈緒美は元フジテレビのアナウンサーでさくらももこのちびまるこちゃんもフジテレビで放送。

さくらももこ生家付近の地図。中央の変形四差路交差点の槇原の下の空地のクボヤマ靴店駐車場の隣がさくらももこの家。交差点にある「神」の苗字に注目。神がつく苗字や地名は大体部落。「神=人間ではない」の意味。牛尾やさくらや静岡市清水区(四水区・死水区)民や全国の部落民革命勢力ネットワークが俺に思考と視覚と聴覚の監視装置を無断で埋め込んで今も俺を奴隷搾取している犯人。牢名主(看守・刑務官・死刑執行人)や下っ端の警官も部落の仕事。人が嫌う仕事を押し付けられてきたということ。キリスト教徒が多いのは部落差別の根拠が神道と仏教のケガレ思想にあるから。キリスト教に改宗して西欧世界のキリスト教文化圏に入れば見かけ上は差別はなくなるから。信州松代清野部落(キヨノ=キヨメは部落民を指す言葉)出身の父親を持つ北朝鮮系学者の丸山眞男が仕掛けた「異端(部落や負け組のこと)による革命理論」が皇室にまで及んで部落民のキリスト教徒と天皇皇后愛子とキリスト教徒の三笠宮家を中心に日本を女性天皇とキリスト教徒と部落民と女の国にするための革命(国家転覆)が実行中だから。この「精神障碍者丸山眞男のあべこべ理論」によれば上が下となり下が上となり左が右となりマイノリティがマジョリティに替わって上となり源氏に替わって平氏が上となり東京に替わって地方が上となりプロレタリアの貧乏人が資本家の金持ちに替わって上となり仏教徒に替わって日本の人口の2%に満たないキリスト教徒が日本の主要勢力となり日本文化に替わってクラシックなどの西洋文化が上となり男に替わって女が上となる。これで革命リバイバル=女性天皇制推進運動が何をやろうとしているかが理解できるだろう。

 

以下参考(外部サイト)

https://jigensha.info/2018/10/19/kuruwa-95/

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