「戦死者の冥福と愛子天皇の安泰の人柱にするために殺す」と就寝中に送信してきている。本当に殺す気だ。キリスト教徒と丸山眞男と王室・皇室に殺される。
俺を本気で殺そうといっている理由は以下の事実から。
きのう朝、紫のシャツと道着に着替えて、一本線香を焚いて窓に向かって外を見ながら座禅した。線香が燃え尽きるまで(一柱という)まったく動かず座禅する。終わりのころ、線香に目をやって気を抜いたときに法界定印に組んだ手に猫がすり寄ってきて「もういい?」といった感じで見上げて甘えた。猫はこちらの気を感じている。
座禅を終えて日本茶を飲みながらたくあん漬けを食べた。たくあん漬けを作ったといわれる臨済宗の名僧の沢庵宗彭のことを思い出しネットで調べた。すると「 沢庵宗彭は紫衣事件で出羽国に流罪となりその後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。徳川家光の命により虎をなでるように言われた際、虎の檻にするりと入って、たちまちのうちに虎を手懐けてしまったという」などと書かれていた。偶然にすぎないと思うが、これはちょっと沢庵さん来てるかな?と思った。土曜日だし北品川の東海寺まで自転車で行ってみようかな?と思った。その様子を、思考と視覚と聴覚を常時傍受(盗聴)していたキリスト教徒が驚き、パニックになって、さっき送信で俺を殺すといっている。この種の能力を有すために、ローマ法王とエリザベス女王と世界中のインテリジェンスが、何がなんでも俺がキリスト教に改宗するよう強制し、さもなければ殺してしまえといっている。それが弾圧の本当の理由だと知っている近所の大使館は(イランも)まったく助けようとしない。丸山眞男・ゆか里も死の直前、俺のこの才能に気づいてパニックになり、俺を助けるどころか「アカデミーの権威を根底から否定する大石の能力を認めてはならない、リンチして抹殺せよ」と言い残して死んだと思われる。そして「丸山眞男を偲ぶ会」を信濃町の公明党本部隣の浄土宗一行院の千日谷会堂で開き、禁欲のため臨在僧になりたがっていた俺に「臨済宗ではなく創価学会に入れ」と暗示して強制した。伝統(正統)仏教ではない新興(異端)仏教で政治団体の創価学会にだ。このとき初めて丸山眞男の正体が文化に無知で政治権力に飢えた愚劣な人間であることを知った。
沢庵宗彭は徳川将軍家(剣術)指南役の柳生家と交際があった江戸時代の代表的な臨済宗の名僧。北品川の東海寺は沢庵宗彭のために建てられた寺。南麻布の多聞山天現寺は広尾の祥雲寺11世良堂和尚が開山したが、良堂和尚はその後東海寺住職になっている。普段公開していないが天現寺は毘沙門天(多聞天)を祀っている。多聞天を含む東大寺戒壇院の四天王を中学生のとき見て感動した。小さな像だが四天王と餓鬼の表情が生き生きと描かれた彫刻の傑作であり、奈良時代の仏師の精神が自由であったことを知って驚いた。(「戒壇院 四天王」で画像検索)中3の修学旅行で東大寺大仏殿がコースになっていたが、俺の強い希望で俺の班だけ大仏殿からかなり離れた戒壇院まで走って見に行き走って帰ってきてバスの時間にギリギリだったことを思い出す。小学生のとき仏教に目覚めたのは仏像の美しさに魅了されたため。子供が好きなのも多分それと関係ある。(4:44)
沢庵宗彭が柳生新陰流(将軍家御流儀)の柳生宗矩と親しくしていたのは事実だが、二天一流の宮本武蔵と関係があったというのは作家の吉川英治が小説「宮本武蔵」で創作したまったくのデタラメなので注意のこと。