政治のために作られた宗教の代表例が明治政府によって捏造された国家神道だ。国家神道を信じることは戦前の国民の義務とされた。今の神社の神道は国家神道を引き継いでいるが、天皇を神道の頂点とする考え方は、明治政府が捏造した国家神道に始まるもので、江戸時代まで天皇を神道の最高神の現人神とする考え方はまったくなかった。生身の天皇を崇拝する風習も日本人にまったくなかった。江戸時代まで日本の伝統宗教は神仏混交であり、寺の中に神社があり、神社の中に仏像があった。明治政府が国家神道を捏造するにあたり、神仏分離令で寺と神社に仏と神の分離を命じ、国民を煽って神社内の仏像や仏教建築をを破壊(廃仏毀釈)させた。鎌倉の鶴岡八幡宮には巨大な五重塔があったが破壊された。徳川家康を権現として祀る東照宮には薬師如来像があったがこれも破壊された。明治期の廃仏毀釈運動は歴史に残る文化破壊でこの時期日本は多くの貴重な仏教文化財を失い、一部は美術品として安値で海外に売却された。神を政治に利用したい明治政府にとって、インド人の仏が神の上にいては困るからだ。韓国や中国やタイやスリランカやビルマにも信者がいる世界宗教の仏教を明治政府が政治目的で支配することは難しいからだ。江戸時代まで日本の神道は本地垂迹説(神は仏が化身して出現したものであること)をとっていたが、江戸時代の復古神道を応用して明治の政治家が捏造した国家神道を受け入れた。復古神道は江戸時代の国学者平田篤胤・本田親徳が、長崎の出島で入手した香港のカトリックの教理書を種本にして創作した神道のこと。学者なんて昔からそんなもの。鎖国時代で一部の学者のみが出島で海外の本を読むことができた。これは使えると思った平田は、天皇を絶対神化するのにマテオ・リッチの教理書にあるキリストを絶対神化する方法を真似することを思いついた。明治政府は軍隊や議会や学校や製鉄造船技術など、制度のすべてを、大金を払って(江戸幕府が長年蓄積してきた金のすべて売り払って)英仏独に学んだが、キリスト教自体を輸入しなかった。キリスト教を日本に広めると西洋諸国に侵略されてしまう可能性があったからだ。そのため江戸時代の復古神道を見つけて応用し、一神教のキリスト教を真似て天皇を絶対神とする国家神道を創作し政治に利用した。日本の伝統的神道は八百万(やおよろず)であり、神が並列的に平等にそこらじゅうに大量に存在するという単純な考え方だったが、国家神道がそれを完全に否定し、天皇だけが本当の神であるという一神教化を図った。それ以外の神社は天皇を頂点とするヒエラルヒー(順位序列付け)に組み込まれた。国家神道と天皇制にそぐわないに神社はヒエラルヒーから除外され破壊された。現在の神道(国家神道)は、明治時代に作られた新興宗教とまったく同じであり、日本の伝統宗教ではない。明治政府が政治目的で作った宗教だから、今後も政治の意向で教義がどんどん変えられて行く(女性天皇制の容認とか)可能性がある。人間を救済したり、極楽へ導くといった宗教の体をなしていない。もはや神道には民族の伝統も文化も根拠もなく、明治期に発生した天理教と同等のカルト宗教といってよい。地域の神社に参拝する風習も、明治政府が国家の末端組織としての神社への参拝を地域住民に押し付けたもので、江戸時代までその風習はなかった。初詣の風習も江戸時代までなかった。伊勢参りなどは政府が鉄道会社とタイアップして考えついたキャンペーンにすぎない。政府は日本人に国家神道を信じさせて侵略戦争を始め、「日本は神の国だからは絶対に負けない。大国アメリカにも勝つ。」と信じて太平洋戦争をやめようとしなかった。米軍の本土爆撃で日本中が焼け野原になり、300万日本人が戦死し、食料も燃料も尽き、日本民族絶滅の瀬戸際まできて、無条件降伏を受け入れた。日本人みんなが待ち望んでいた神風は最後まで吹かなかった。それゆえ、困苦を耐えて終戦を迎えた戦争体験者(父を含めて)のすべては、「政府と神社にだまされた」と自らを恥じ、神社にも宗教にも近づく者はいなくなった。憲法の信教の自由(宗教を信じなくてもいい自由)はこの貴重な戦争体験から生まれたものだ。宗教を捨てて科学を採り民主主義を信じる日本が始まった。