「丸山眞男集」から。本は図書館で読むもの。買ってはいけない。

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動画「天皇制を否定していた丸山真男」のNHKの番組内で朗読されていた丸山真男「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」(昭和天皇の死亡後24日の1989.1.31の記述)の前後部分の紹介(一部)。

丸山眞男は大阪府東成郡天王寺村(現在の大阪市阿倍野区)生まれ。眞男の父丸山幹治は長野県埴科郡清野(きよの)村大村八八一番地(現在の長野市松代町清野八八一番地)生まれ。丸山家は松代藩真田家の足軽(最下級武士。平時は百姓や雑役が多い)の家柄。

同住所(長野市松代清野881番地)には「丸山内装」が存在するので丸山幹治・眞男の親族であることは確実。
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以下の地名
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丸山家 長野市松城清野881
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城の鬼門にあたる南西は部落が多い。
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これらの地名。清野の周囲はほとんど部落。
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丸山幹治(眞男の実父)は清野村の貧農(以前wikipediaにそう書かれていた)の息子。衛星写真を見ればわかるが、同地は千曲川と山に周囲を完全に閉ざされた閉鎖地区。南側に山があることから日照不足で収穫量は少なかったはず。幹治は稼業を継がず横浜に逃げ出し新聞記者になった。

丸山眞男(左)と吉野源三郎(右)。吉野は岩波書店の著名編集者でその後同社取締役。吉野が無名の丸山眞男に文才を見出し発掘した。吉野がいなければ丸山は一介の地味な政治学者にすぎなかったことは断言できる。俺をNHK天才てれびくんのスタジオに招いたプロデューサー長手源三郎は、岩波書店の吉野源三郎の暗喩。眞男の兄の丸山鉄雄がNHKラジオ「日曜娯楽版」のプロデューサーだから、部落民の丸山一族が俺を弾圧してきたことが確実。

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