作家と指揮者と俳優と写真家と映画監督の強制やめろ。盗撮やめろ。宗教の強制やめろ。皇族と大内との結婚の強制やめろ。警察は本の出版の強制やめろ。絶対にこのブログを小説として出版させない。違法出版に対してはただちに告訴する。このブログの内容のすべては事実を記録したドキュメンタリーであり作家の作り話にすぎない小説などではない。警察の公安活動の実態を隠蔽するための小説の出版の強制やめろ。

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俺が母親に溺愛されて育てられたということはまったくない。過保護に育てられたのは兄であり、母親は兄につきっきりになるあまり俺を家政婦の「せっちゃん」に任せた。せっちゃんは俺をよく家禽動物園に連れていってくれ、それが今の動物好きにつながったのかもしれない。せっちゃんは俺を連れ出すのを口実に、その動物園で男に会っていた。おぼろげにその男の記憶がある。子供の頃のアルバムの写真を見ても兄のはいっぱいあるが、俺の写真はほとんどない。俺の着る子供服は全部兄のおさがり。大体下の子はそうなる。でもそれが外の世界に目を向かわせ自立をうながした。兄は運動が苦手で、東海大付属小の体育で逆上がりができず泣いていた。母は鉄棒を自宅に買ってきて体育の家庭教師を雇ったほどだから、バカ親ぶりがわかるだろう。東海大付属小の教師は母を熱心な教育ママだとみなしていたがそうではない。母は西武百貨店や松坂屋の外商を自宅に出入りさせて、高額な洋服や宝石を買って、着飾って父兄参観日にでかけた。兄の立場は、よくしつけられた犬のプードルのような存在だったにすぎない。息子を東海大付属小に入れたのも、私立の制服とスクールバス通学にあこがれて見栄で入れたにすぎない。(他の親もそれだけが理由で東海に入れるのだが・・)兄に対する熱心さは母の自己愛の反映にすぎなかった。東海大以外の一部の教師がそれに気づいていて、「私は大石くんのお母さんはちょっとおかしいと思う。子供のためにやっているようで、結局お母さんのわがままを通すために大石くんを利用しているだけのように見えます。本当にお子さんのことを思っての教育ではないと思います」と父に言った。父はこの教師が好きではなく、話を聞いたときムカついたというが、後日省みてまったくその教師のいうとおりだと痛感したという。後年この話を大きくなった俺に聞かせて「母親はそういう人だからな」と理解させ、親の未熟さを自覚するように俺にいった。母親はいつまでも子供は自分の所有物だという意識が消えなかった。自分の腹を痛めて産んだものは、自分のものだという意識が消えなかった。俺は母親に放置されていたが、兄の死後、もう24歳になっていた俺に目をつけ、「さびしい」といって同居させ縛ろうとした。2012年に俺を精神病院に入院させた理由も俺が同居を拒否したからだ。

強制入院の一種である医療保護入院では、親が望めば子供が精神病でなくても精神病院に入院させることができる。親権の拡大解釈と言えるが裁判所はほぼ無審査で親に保護者の専任状を交付する。子供の財産目当てに、親が成人の子を入院させる人権侵害があとを絶たない。当時、母親は日本テレビのみのもんたの「おもいっきりテレビ」の統合失調症の回を見て、強制入院の知識をつけていた。みのに「入院させないと!大変なことになる!」と脅され、その言葉を医者に繰り返していた。みのは俺を入院させるために母親に向けてオーダーメードで番組を作っていたと思われる。母親は高井戸清掃局に併設された高井戸区民センターのマッサージ機を使うために日参していた。そこに「こんな症状はありませんか?」という統合失調症の治療を促すパンフレットがわざとらしく置かれていた。母親はそれを読んで、そのすぐ近くの高井戸保健センター(保健所)に駆け込み、息子を入院させたいと保健師に相談した。保健師と仲良くなった母親は、まったく俺に内密に保健師と井の頭病院と話を進め、保健師に民間救急業者(警備会社系の搬送業者。違法な暴力の行使が絶えず世界でも悪名高い)の紹介を受け、高額の料金を払って民間救急業者を頼み、暴力で俺を入院させた。俺は両手両足を縛られ、倒れたまま、まるで家畜が運ばれるように、横倒しのまま階段を引きづりおとされ、道を引きづられて日産エルグランデに放りこまれた。(虎ノ門のビル清掃業者の三峯産業は警備業もやっており、父の実弟の三峯産業の創業者の大石四郎(父と犬猿の仲でまったく交流はなかった)が秘書をやっていた大野伴睦(自民党大野派。右翼と暴力団のドン)に近い久原・鮎川財閥の日産車なので、静岡市にも支店がある三峯産業の大石喜央(四郎の子)と東海大が暴力の犯人とみている)保健師はキリスト教系の資格だが、そもそもこの保健師が、俺に面会して、病的状態にあるかどうかの診断をせず、俺に電話すらせず、一方的に母親の主張のみ聞いて、いきなり暴力で入院させたことがおかしい。母親による虐待があとを絶たないというのに、子の言い分を聞こうとしなかった杉並区がおかしい。入院後に読んだ読売新聞によれば、入院の陰で杉並区の民主党の政治家が暗躍していたという示唆があった。社会党右派の東海大の松前重義・仰の系統の民主党の議員のことだろう。杉並区は真光の石原伸晃の地盤なので自民党の可能性もある。東海大附属小の同級生の鈴木喜久美が当時から熱心な真光信者だ。真光はイギリス(諜報)系の神道カルトで皇族に近い。在学中鈴木は学校での布教を教師(大石裕次郎)に固く禁止されていた。他の親はカルトの鈴木を避けていた。鈴木が学校の本棚に放置していた真光のパンフレットを見たが、真光少年団がナチの制服そっくりだった。まだ大二次世界大戦が終わって28年目のこと、俺は背筋が寒くなり、そのパンフレットを投げ捨て、その後一切鈴木と口を聞かないようにした。宗教はどこも気持ち悪かった。
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母親は大人になった俺の才能をいちいち否定し、自信を喪失させて、自立させないようにしていた。自分の手元を離れて独立させたくなかったからだ。高3のとき、制服の大内を自宅に連れてきたとき、「何?あの態度は?挨拶もしなかったわよ。育ちが悪いわねえ」とケチをつけた。育ちが悪いのは母親も同じだ。母親は俺が女と交際することを、特に警戒していた。

兄は過保護に育てられた結果、いわいる内弁慶タイプとなり、家では暴君のようにふるまい、外では人前でスピーチもできないほとのアガリ症でおどおどしていた。自意識過剰で人目ばっかり気にするので、スポーツがまったくできなかった。人目ばかり気にして体が固まってしまうからだ。とても醜く弟として恥ずかしかった。文学が好きで本ばっかり読んでるクズに多い。(中村恭己の生徒の斉藤知洋の兄の斉藤至高が同じタイプ。観念が強すぎそれが現実世界と合一しないので、外で何するにも立ち止まって腕を組んで考えていた)兄は中学にあがって母親に勉強を押し付けられたストレスを家庭内暴力として発散した。母親と小4の俺を殴った。清水の男や男性教師は粗暴ですぐ女子供に手を上げた。兄はそれを家で(外では絶対にできない)真似したにすぎない。父親は暴力的な人ではない。
牛尾(中村)奈緒美は東海大付属小で兄の同級生だが、土建屋(中村塗装店)らしく、飯場の女のように怒鳴り散らして奈緒美をしつける恐ろしい母親が学内で有名だった。奈緒美はそのストレスを妹に向けていた。奈緒美が妹を殴りまくっていたのをこの目で見た。

兄は不愉快になると小学生の俺を見つけサンドバッグのように殴った。それは俺が中学にあがってから激化し、俺は城内中の文集に「死にたい」と書いて信号を送ったこともある。しかし誰も助けてくれず卒業を迎えた。俺が高校に入り、すでに兄と変わらぬ体格に成長していたので、殴られたとき猛然と反撃した。兄の腹を殴ってうつむいた顔を足で蹴り上げた。武道をやったので体格が同じならこちらの方が強かった。それから兄は二度と俺に手を出さなくなった。口先で命令することもまったくなくなり、初めて対等な関係になった。いじめに対しては自分が強くなるしかないことを痛感した。親も教師も地域もまったくあてにはならない。

俺は京都で一人で住んで(紫野学区の兄とも別居)自炊も洗濯も覚え、バイクで遠出して独立しつつあった。しかし過保護で不器用に育てられた兄は料理など作れるはずもなく、ラーメンばかりの生活をしていた。教育ママに育てられて、佐倉のように慶応大医学部にでも行ったならよかったが(兄は慶応大を受験したが不合格だった)最終的に立教大どまりでは、金を浪費してくだらない文芸書を大量を買ってきて、その山に埋もれていた不健康な生活も、「うるさくて勉強できないからお前は友達をつれてくるのをやめろ」といつも俺に命令していた根拠も、はかなく消えた。兄への恨みだけが残った。俺はよく東海大付属小や城内中の友達の家に遊びに行ったが、逆に俺が家に友達を呼ぶことができなかったのは、兄のせいで、悪かったと思っている。

醜い兄は、成人してから演技して隠すことを覚え、作家になるのをやめて俳優になりたがったこともある。当時高井戸東に住んでいたが近所にあった唐十郎劇団を見に行ったこともある。四季に入りたいようなことも言っていたが。やはり度胸がなく無理で諦めていた。作家は無理だから広告代理店に入りたいともいった。俺は兄のできない美術志望だから全然そういうものに関心なかった。兄はクラシックのレコードを聞きながら、棒を振り回していたこともある。(ただ音楽に合わせて気持ちよく動かしていただけ。指揮は各パートに合図を送るのが仕事だから、楽譜を覚えて、音楽よりワンテンポ早く動かさなければ指揮にならない。俺にもとてもできない。)兄が憧れていた作家とか俳優とか指揮者とかカメラ(兄はマニアでない。ブームで買っただけ)とかを、東海のバカどもや(特に鼓笛隊の奴ら、兄が指揮をやったので。俺は入ってない。俺の時代は鼓笛隊部員は全員女子だった)静岡大付属中の渡辺久芳(渡辺モータース出身。静岡高・慶応大卒。アフラック勤務)やホモ(ゲイ)の平口康成(静岡大付属中・慶応高・慶応大)が兄好きだったことを俺に押し付け、その利権を漁っている。写真家の大石よしのも俺にまったく関係ない。写真家なんてやらない。

兄が車の運転はできるがマニュアルの自動二輪車の運転ができなかったのも、兄が極端に不器用でプラモデルも作れない人間だったからだ。(俺が器用なのは左利きだから。兄は右利き。左利きは右利き向けに作られたハサミや自動販売機や冷蔵庫などの道具を使わざるを得ないので両利きになる。だから器用な人が多い)室内でハンドルを回すだけの車は、外から見えず体を隠してくれるが、むき出しのバイクはスポーツと同じで、両手両足を全部同時に別に動かす(右手はアクセルと前輪ブレーキ。左手はクラッチ。左足は変速。右足は後輪ブレーキ)マニュアル式の自動二輪車は、人目ばかり気にしている兄にはとても操作できないし運転できなかった。いまでもマニュアル式のオートバイを運転できる人は車に比べて世界に大変少ない。

俺が入院させられている間、母親は俺の猫をひっぱたいていた。(猫は安心できない環境に置かれると縄張り意識が強まりマーキングする)もう粗相をやめないので殺処分してもいいか?と閉鎖病棟からでられない俺にいった。「この女は俺達が赤ん坊のとき、猫にやったようにひっぱたいて育てたんだ。当時使い捨てオムツがなかったので、ちょっと漏らすとすぐ布を洗わなければならず重労働だった。それで粗相しないようブン殴ってしつけていた。この虐待の条件付け(心理的プログラミング)が、母に叱られた兄に破壊衝動を起こさせていた。虐待の連鎖は意思の力でどこかで止めなければならない。カトリックに受け継がれる性的虐待の連鎖もどこかで止めなければならない。

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