「 」は就寝中の送信内容

「ギル・シャハム」
なんだそれ?またつまらない薄っぺらいクラシックのやつだろ。「イルミナティ教」の低能カスのお前らしか聞かねえよ。ここは日本だ。

「王族・・」
高輪の高野山東京別院に行って経や真言を唱えてきた俺のどこが王族だ?仏教の経を唱える王族・皇族はどこにいるんだ?え?バカミナティ。

俺のことホモという送信もうよせ。だからホモじゃねえこと見せてやるから、タイマンで勝負しろ。そういってんのに一人もでてこねえぞ。それはお前らが脳無しのホモのペドばっかりだからだ。てめえらがいつもピアノ弾いたり笛吹いてるだけのみっともないケンカに勝てねえ軟弱オカマのクラシックだからだ。文句あんならでここいホモペドカス。

「阿含宗」
高野山に行って阿含だとかオウムよばわりするのはお前らキリスト教だけだ。日本の伝統仏教を否定したいスターリン丸山一派と皇族だ。神社なんか日本の伝統宗教じゃない。江戸時代の国学者がキリスト教を種本にして作った新興宗教にすぎない。ジェフリー・エプスタインとか世界の王族皇族とつながってるペド=イルミナティ。

ペドはすごいんだよ、結束が。もしバレたら仕事(子供に関わる仕事が多い)も家庭も名声も地域での評判も一気に失うからな。それに耐えられなくて大体エプスタインみたく自殺するんだよ。だからイギリスのアンドリュー王子とかもみんなで必死になって隠蔽するから結束が強いんだよ。「血の掟」の秘密結社イルミナティとして世界中で悪事を働いているんだよ。

「そういう絶対に他人に言えないことを実現するために政治をやりなさい。政治は欲望の強い者が勝つ。欲望を満たすために政治をやりなさい。ペドという醜い欲望を隠すために「政治家」「指揮者」「校長先生」という仮面をかぶりなさい」と指導しているのが丸山真男の弟子の中村恭己なんだよ。

ネットで俺に「もっと政治をやりなさい!」と叫んでいたのが丸山ゆか里の家の隣の東京女子大(キリスト教系)で活動家だった、ポルノ小説家の瀬戸内寂聴なんだよ。いくら理趣経に書かれていても、僧が不邪淫戒を破ってはいけない。タントリズムを日本で実践してはいけない。オウムはあんただろ、セックス礼賛の瀬戸内さん。あんた軽薄だよ。

高野山の帰り、三田の龍源寺(臨済宗。ブリジストン創業者の菩提寺)の前を通ったら、男児が飛びでてきて邪魔した。臨済宗カトリック派?かもしれねえんだよ。高野山の帰りだから少年愛と短絡?弘法大師のことを悪くいってはいけないんだよ。日本人なら。横田さん。

「きのう三田の阿含宗に入った」
デタラメやめろイルミナティ、キリスト教。阿含宗の桐山は左翼活動家出身だ。カルト教祖になるのは活動家として人心掌握術・扇動術を学習した左翼だ。高野山で読経するものに阿含宗の信者はいない。日本人の仏教徒を阿含宗よばわりオウム教よばわり幸福の科学よばわりする売国反日行為をやめろキリスト教。もっと他者の信仰を尊重しろ。そういっても無駄だがな、イスラム教と同じで「従わない(入信しない)者には死を」がキリスト教だからな。「異教徒には不寛容を」がキリスト教だからな。だから戦争になるんだよ。

無断で掲載されただけなのに、俺の文章が「投機の十戒」という本に載ったというだけで、俺がモーゼの十戒を冒とくした、と、俺に脳電極を無断手術して世界中のキリスト教で監視して攻撃して搾取してるんだからな。コーラン破った人がイスラム教に殺されるのと同じだよ。イスラム教をバカにしたフランスの新聞を襲ったイスラム教徒と同じだ。モハメッドの小説を書いた筑波大の学者が殺されたのと同じだ。お前らキリスト教徒が仏教徒にしていることは。アブラハムの宗教=ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はみな同じ。信仰を強制し改宗を迫る。改宗しなければ殺してしまう。そうやって信者を増やしてきた。キリスト教は根がイスラム教の残酷さと同じ。同じキリスト教徒同士で、「博愛」とか「寛容」とか・・。うすら寒い言葉。そんなことオウム同士でもやってる。日本人にとって、キリスト教と皇族に支配された医療は非常に危険だ。キリスト教の悪口をいったりしたら、もう何をされるかわからない。人間の命を守るべき病院が、日本人にとって最も危険な場所となっている。

きのう高輪に行ったが、無論のこと高輪皇族邸の付近は通らないよう避けている。「帰ってきたウルトラマン」などを歌ったので、小学生のころ見たテレビを思い出していた。NHKの日曜朝6時からの「自然のアルバム」の大ファンで毎週欠かさず見ていた。「丹沢のシジュウカラ」とか、身近な日本の動植物を実写する番組で、動植物好き自然好きの小学生の俺にはこたえられない内容だった。それが終わると「兼高かおるの世界の旅」。KLMオランダ航空の客室乗務員の兼高が世界を巡る観光番組だったが、まだ1ドル=360円だった時代で、海外旅行は高値の鼻で、よく見られていた。これを見て客室乗務員になったり外務省を志した軽薄な女子は多いはず。それが終わると8時から「皇室アルバム」。面白くないのでいつもテレビを消していた。でも今考えると、学習院小の半ズボンを着た小僧の浩宮(天皇)や礼宮(秋篠宮)が、まだ妖怪顔になっていない若い美智子と遊んだりする様子を毎週やる番組だったので、当時の皇室は開かれていたと思う。この番組を知っている俺としては、今の浩宮の低能ごときが神様ヅラしてふんぞり返っているのは許せない。こんな小僧の命令で日本でナチズムやろうなんて、絶対に俺がぶっ潰してやる。高輪にいる美智子も今ではずいぶん傲慢になった。昔はそこらへんの芸能人と同じ扱いで、パパラッチに近いこともされたのに、今はベールの向こうで、何やってるか全然わからない。皇室の仕事も楽になっただろう。皇室の内情が「菊のカーテン」に隠れるようになたのは、「昭和天皇のご病気報道自粛」以来のこと。マスコミが協力して権力の監視機構という職責を放棄し、権力に迎合したから。やっぱり天皇制を存続したのは間違っていた。いずれ戦前のような狂信的天皇制独裁がやってくるのは時間の問題だ。

「フォーク歌手みたいのが「旅立〜ちのとき、だからほうへ(放屁?)というんだよ。」」
放屁はほうへじゃなくほうひだ。日本語も読めないのか反日キリスト教。屁はお前ら田舎テレビ局のサレジオだ。屁はキリスト教の聖心(イエズス会系)の美智子と、カトリックイエズス会の田園調布双葉中高・東大・外務省の雅子だ。イエズス会は自らを「神の軍隊」と呼ぶ侵略主義団体だ。

俺は真言宗か天台宗の、野山を駆け巡る修験者になりたいと、今も強く思っている。

「チベットの人に食料を与えてきた」
与えてない。仏教徒はお前らのようにタントリズムを悪魔教にパクったりしない。そんな幼稚なお前らのキリスト教で仏教は覆らない。仏教からみて一言でいってキリスト教は幼稚。いつまでたっても愛だのセックスだの、仏教のように老成とか諦念とか、人生の円熟がまるでない。教義に深さがない。善の反対で悪で悪魔教。悪いことをするのが悪魔教でイルミナティ。なんでも「反対のこと」をして喜ぶ幼児と心理が同じ。禁止されているから、キリスト教のタブーだから、禁断の果実だから、どうしても子供とセックスしたい、という心理が幼稚で軽薄。

[何にでも反対がある、何にでも異端がある、何にでも表と裏がある]、と、何でも二元論の対立の中でしか考えられない精神が分裂している真男。必ず裏がある、と法律の条文まで二重の意味を考え、手に取った何でもひっくり返して見なければ気がすまない真男。その裏と裏をつなげたらどうなるか?と、古本の山で分裂病的妄想が止まらない真男。異端による革命、日本人を拉致した北朝鮮の[妄動主義者]ってお前のことだろ真男。[まぜたら危険]と書かれていれば、混ぜて何に使えるか考える幼稚な恭己。何でも悪用することばかり考える恭己。キリストと悪魔、光と影、善と悪、というキリスト教文化の二元論に毒され、伝統的日本仏教文化の世界観を忘れた真男。二元的対立を超えて、一如の円満で平和な世界に到達するのが仏教の修行。二元的対立の中で苦しむこと、営業用の笑顔を絶やさないが心が荒んだ子役のように、表と裏を使い分け、ストレスから分裂病(統合失調症)になったり、自殺するのは子供でもしていること。そうではなくて、バラバラになりがちな自己を、いくつもの人格を使い分けるなどの病的な乖離を、元のひとつの人格にまとめることが、今現代人に課されていること。精神分裂病の丸山真男・健士や、多重人格症の中村恭己や、ホモ特有の嘘つき人格はもうたくさん。人間は、嘘をつかなくてもいいように、仮面をかぶらなくてもいいように、精神を分裂させて二元的対立で苦しまないように、もっと自然に、一人の自分で生きるべき、生きられるようにするべき。

中村と丸山に引っかかるまでの俺は、バイクを乗り回す好色な女たらしのツッパリだったといえるかもしれない。一般的にホモのペドが一番好むのは、ピアノや文学をやるような女性的な男ではなく、フェロモンが強そうな女好きの男らしい男だ。頭の悪い丸山ゆか里は「社会に見捨てられたような不良少年を集めてピアノを教える中村君は偉いわ」といっていたが、そうではなく、ヤクザっぽい不良中高生が中村は好きなのだ。中村は俺が持っていた「ヤクザ」(デビッド・E・カプラン著)の、入れ墨を入れた褌一本のヤクザの写真をうっとりとずっと眺めていた。

当時立教大文学部生のホモで、西荻窪に住んでいたオネエことば丸だしの韓国人の羌雄二(きょうゆうじ)は、よくピアノ教室に来て、俺のことも狙っていたけれども、中村に「裏切った。チクった。」と言いがかりをつけられリンチされ、坂にハサミで髪を切られ、中村雅俊にシェーバーで十円ハゲを作られ、泣きそうな顔で逃げていったところを、ピアノ教室に入ったはかりの俺は見ている。女である中村恭己にとって他のホモは女であり、中村のハーレムであるピアノの生徒の男子にたかる恋敵であり、粛清して追いださねばならないのだっだ。だから中村の集団は、ホモだけが集まるゲイタウン新宿2丁目とは違う。ノンケの少年が中村にだまされてセックスさせられるようになったのばかりだ。しかし少年たちには女がいて、中村から離れれば女ともセックスしていたのも多い。少年たちは、学校に接続された丸山という権威で禁欲を強制され「制度的同性愛」(刑務所のような女性のいない環境でのみ行われる同性愛)になっていたのに過ぎないからだ。俺もいくら中村に洗脳されでも、中学生のとき興奮したPlaymateの写真を見ると、たちまち男が頭をもたげてくるのだった。

だから中村は少年たちから徹底的にグラビア写真の類を奪って、かつて女が好きだった記憶を消す。卒業アルバムを必ず奪う。これらは中村が全共闘時代に学習した人格改造のノウハウであるようだ。俺も浜田山の自宅に置いた大量の女性グラビアのすべてと卒業アルバム(都立鷺宮高、静岡市立城内中)を奪われたが、静岡の父の家に隠した中学時代に使ったPLAYBOYは無事だった。

田舎からでてきて新宿2丁目のオカマに引っかかって、薬を打たれてホモポルノに出演させられるなどして、東京で他にあてがなく、そのままホモになってしまう男も多いらしいが、中村の集団はそれに似ている。中村は少年たちを居着かせる薬物を欠かさなかった。

中村はノンケの少年だけを対象にする少年愛者(主なターゲットは中高生。ジャニー喜多川と趣味が同じ)であり、搾取の対象としか少年たちを見ていない。その究極が脳電極埋めこみによる少年の奴隷化だ。一度搾取の対象として見つめた少年が、大人になっても、中村はそれを改めることはできない。そういう人間関係しか築けない。だから最後は一人ぼっちになり、孤独の中で死んでいく。ホモに共通した哀れな末路だ。

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