明治大副学長の牛尾奈緒美の実の妹の中村仁美。3つ違いの妹で顔はそう違わないから、整形前の牛尾奈緒美の顔がどんなだったかわかるだろう。牛尾(中村)の家は東海塗装店で、ペンキ塗りだけでなく土建労働もしていた。当時のペンキ屋なんて防毒マスクの着用なんてお構いなしで、平気でシンナーを吸い込みながら塗るので、トロ〜ンとした変な顔の人が多かった。きつく危ない嫌われる仕事だった。授業参観にやってきた中村の母親は飯場の現場監督のようにすぐ怒鳴るので、女子にも男子にも嫌われていた。奈緒美は母親にバンバン殴られて勉強させられていた。奈緒美はそのストレスを妹の仁美に向けていた。奈緒美が俺の目の前で仁美を殴ったのを見た。殴られすぎて頭がパーになったのだろうか?仁美は学年で成績はビリで、知的障害者だろうと思われていた。しかし仁美も怒ると粗暴な清水人らしく手が早く殴ってくるので、「脳足りんに関わるな」と皆に避けられていた。
静岡市清水区の佐倉耳鼻科http://nsakura-keio.com/、慶応大耳鼻科http://sc.chat-shuffle.net/human/id:1830958の医師佐倉伸洋。違法脳電極移植手術を執刀した犯人。慶応大医卒。
東京都北区でかなえ歯科を経営している歯科医の竹内嘉苗。佐倉と同じ清水東高卒。東京医科歯科大卒。破綻した長銀のエコノミストの竹内宏の親族。新清水駅西口の年金事務所の隣の竹内内科も親族。http://www.kanae-dental.com/doctor/
ここに住んでいるようだ。昨年見に行って竹内本人だと確認し、歯の治療と同時に電極を外してもらおうと思ったが、冷たい脅すような声色で「予約は取れません。ずっと取れません」と治療を拒否された。
眞光信者で自分が音声送信の犯人だと認めた鈴木喜久美。
鈴木喜久美と交際して鈴木も彼氏だと自他ともに認めていた茶屋の尾竹。理科室で鈴木と尾竹が足をからめあっていて見苦しかった。俺は鈴木と話したことはほとんどない。俺が鈴木を嫌いだったし、俺の親も鈴木に注意するよういっていたからだ。鈴木が眞光に入っていることをPTA全員が知っているので皆に避けられていた。当然だ。
左から若林功、内藤正徳、天野孝男。若林の父親は三井物産勤務。功は4年のときレバノンから転校してきた。母親は地元の伊藤鉄工所の社長の娘。当時は「ラリパッパ」のピッピーの時代。功の母親が自宅でマリファナパーティを開いているというもっぱらの噂だった。母親の実家の伊藤鉄工所の広い社長宅に行ったことがあるが、庭の防空壕に隠し持っていた戦時中の拳銃を見せられたことがある。1970年代の日本には、終戦の武装解除に応じなかった軍用拳銃がかなり残っていて、よくヤクザの抗争や強盗事件などに使われていた。功は6年になって再び南アフリカへ転校していったので、卒業アルバムのアップにない。清水区清開の伊藤鉄工所本社の隣には隣保館幼稚園。
転校していった若林の代わりに入れ違いに海外から転校してきたのがこの大村卓也。どの国から来たのか忘れたが、名簿を見ると父親はフランス大使館員。なんでフランス大使館員が清水にいたのかはわからない。
父親が住友商事勤務で、実家が清水区興津の東海道沿いの古い旅籠屋「水口屋」の井田隆浩。商社マンは当時マグロの水揚げが日本一だった清水港に買い付けにきていた。今は清水魚市場はさびれてほとんど水揚げがない。漁師もほとんど廃業した。気取った話し方をするので「知ったかぶりの井田」とバカにされていた。大村も日本語も書けないくせに知ったかぶりする癖があった。親の性格をうつしていた。大村は静岡市沓谷(くつのや)あたりの自転車屋に非常に多い姓。