大内純子の生地(中野区野方6丁目2−4)を公開。貧乏人の大内純子。

(12:26) 大内純子が送信で俺を貧乏人といってしつこいので大内が生まれた家を公開する。ただし昔のままの家ではなく表札は佐藤とでているので別人の家かもしれないし関係あるかもしれない。しかし大内純子がここに住んでいたのは真実。線路からすぐそばで送電線の真下のひどい場所だということを見てもらいたい。誘われてこの家の中に入ったことがあるから大内純子がここに住んでいたのは確実だ。大内と交際を始めたころここに呼ばれると中に大内の父親がいた。父親が純子に「どんな男か見せろ」いったので呼ばれたのだった。結果父親の許可が下りた。

大内家は没落して埼玉あたりに住んでいるのではないかと思われ港区に住む俺を深く妬んで毎晩送信して苦しめている。

線路から数十メートルの大内純子の家。急行通過の時は家が揺れるほど。頭上に送電線はあるしあまりにも過酷な住環境。俺より貧乏なのは疑いがない。やっぱり淡路の渡来人の百済人の部落民だからか。

どやどやした野方駅前。港区にこういう場所はない。

野方駅前に立つ中野区議大内しんご(都立武蔵丘高・青山学院大卒)の看板。直接大内しんごに電話してきいてみると「純子という名前なんか知らねえし東洋英和に行った女も知らねえよ」とのことだった。しかしわざとらしい話し方だったし大内しんごの家(野方6-22-3 日本基督教団野方町教会の前、やはりキリスト教徒か)がしんごの青山学院と同じメソジスト派の東洋英和に行った大内純子の家に近いので親戚なのではないかと思っている。

実は野方はオウム真理教附属医院があった場所。大内純子の家のすぐそば。地下鉄にサリンを撒いた犯人たちは少しサリンを吸ってしまい死にかけていたので他の信者の車に回収され急いでここに運ばれ解毒剤のPAMを打たれて一命をとりとめたという。

オウム真理教附属医院があった場所。

オウムの幹部にいた大内利裕と大内早苗の兄弟。大内純子と無関係ではないだろう。大内早苗は教団の「白い愛の戦士」だという。オウム大内純子。貧民大内純子!お前が貧乏人!兵衛の孫だかなんだか知らねえが糞の愛子の友達でセレブ気取りやめろ。宗教いらない。宗教に入る理由は貧・病・争というがまったくその通りだ。まともな日本人はキリスト教にも創価学会にもオウムにも入らない

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