ノンフィクション・ドキュメンタリー 犯人はシスター

一昨日ここを更新してからずーっと「メッカライブ」を流している. イスラム教徒の巡礼地であるサウジアラビアのメッカからの中継で一日5回の礼拝の様子のほかノンストップでクルアーン(コーラン)の詠唱が流れている.  これを自室で流していると就寝中に安眠を妨害する送信者がダメージを受けている様子が手に取るようにわかり面白い. 送信者がそれなりに熱心なキリスト教徒でイスラム教を嫌っていることがわかる. メッカライブのおかげで昨日・一昨日は送信の手が弱まりキリストという悪魔からムハンマドのバリアが守ってくれたような気がした. 

以前三菱銀行浜田山支店で使っていた口座の印鑑を発見したので口座を復活するために広尾店に予約を取ってきょう午後行ってきた. しかしその口座は静岡支店の口座を閉鎖したときにすでに閉鎖されていて復活できないことがわかった. その後天現寺の前を歩くと前にシスター服を着た中年女性二人が大声でこれ見よがしに話してていた. 近所の聖心女子大・高・中・小のシスターだろう. 俺に向けた怒りのこもった大声だ. それで気づいた. 「そうだ!シスターだ!犯人は!」フランス大使館の粘着質の陰険な人権侵害の個人攻撃やクラシックの強制, 特に繰り返し少年合唱団の指揮者になれという強制はカトリックのシスターがやっていると考えると犯人の人物像の説明がつく. 俺が自室でメッカライブを流しているので常時盗聴しているシスターがたまりかねて怒って俺の前にでてきたのだろう. 職場が男性禁制の女子修道院や女子校ゆえレズばっかりのシスターだから俺にLGBTや同性婚を認めるよういい, さらにどうしても女性天皇制を認めさせようとしていたのだろう. これでまた一つ謎が解けた. ただこれに警察が加わっているのも間違いないがキリスト教系の女子校の卒業生の多くが女性警官になるからではないか.

それからカトリックのシスターや司祭(男性)には同和地区出身者が非常に多いという気がする. 以前久我山に住んでいたころ杉並区法務局にマンションの名義変更に行ったとき暴走するシスター服の女の車に轢かれそうになった. 「シスターのくせになんてことを!」と思ったが同地の八丁通りの今川地区に俺が入ってきたことに怒っていたようだった. その後南麻布に住むようになってから自宅付近でタクシーに轢かれそうになったので大声で怒鳴りつけ免許証を提示させると杉並区今川(清水)のキャピタル興業の社員だった. やっぱりそういう地区だったらしい. 女性天皇制を実現しようと企む「丸山真男・異端による正統に対する革命」勢力はカトリック聖職者や同和勢力と一致している.

19:34 以下カトリック東京司教区の麻布教会(西麻布)の沿革に書かれている内容. プロテスタントの東洋英和・カトリック藤枝教会・フランス人との関係が書かれていて犯人がシスターとフランス人であることを裏づけている.

「赤羽橋の教会が手狭になると当時神田教会から巡回していたパピノ神父は1889年現在麻布教会がある地に土地を借り受け和洋折衷の聖堂を建築した。麻布地区には既にメソジスト派の宣教師が活躍していた。東洋英和女学院は大きな宣教の成果を上げつつあった。1892年11月主任のレゼー神父は甲府・松本地区に転任した。後任のシユテル神父も1年足らずで麻布教会を去り帰国してトラピスト修道院に入った。次のギュィヨン神父も2年足らずで浜松・藤枝地区に転任になった。こうした事態の裏には次のような事情があったと思われる。地方教会の事情を考慮しない教皇庁の厳しい方針は当時の日本の教会を大きく揺さぶった。進歩的・活動的な司祭の多くは地方へ転任させられたようである。もう一つの事は1888年麻布に大隊区司令部が出来て軍人の住民が多くなったことである。彼らは日清戦争後の領土問題に、独・仏・露が干渉した事で強く反発しその敵意をフランス人宣教師にも度々向けた。温和な性格のステーヒエン神父は麻布教会の移転までも考えたが財政的に無理であったので結局住民の感情を刺激しないよう細々とした活動で満足するしかなかった」

「沿革」の抜粋終わり. 六本木は戦前は日本陸軍の連隊が存在した軍の街だ. 雑誌TIMEの表紙になった岸田首相が「日本は軍事大国になる」と宣言した今, またフランス人に日本人の敵意が向けられる事態がやってくることをフランス人やシスターは理解していないようだ. フランスなどマクロンがアメリカの対中政策に反対する反米国家なのだから. 日本人のナショナリズムを甘く見ない方がいい. 女は甘い.

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