(2024/7/9 15:45) 南麻布の四の橋のエキサイト嫌がらせやめろ。
先週俺が短パンを履いて南麻布を歩いたから。きのう自宅で皇居の半蔵門のイギリス大使館の前にある疑似児童ポルノ出版社のぶんか社の隣が天理教だと言ったから。エキサイトの入ったリージャス南麻布大和テラスの隣は天理教の教会だから。エキサイトも岡野が高卒で入社した東京めいらく(スジャータ)と同じく天理教系のブラック企業なのだろう。リージャス南麻布大和テラスには他に伊藤忠、ゲーム制作のポリゴンピクチャーズなどが入っている。天理教の前を通ることがあるので俺のことを信者だといっているだろうが無論そんなことはありえない。どの宗教にも一切加入してない。天理教は神道系で大和テラスが隣。宗教いらない。人類の敵。
ぶんか社・天理教に関連する動画を再公開。
動画解説:児童ポルノ法制定を推進したのは自民党の森山真弓や創価学会公明党や統一教会の宗教系の議員だったが写真家の既得権保護を名目に児童ポルノ法の例外規定が作られこれらの写真家の少女ヌードは売られ続けた。いうなれば酒屋が禁酒法を制定して一部に販売を許可された酒屋がボロ儲けするシステム。それを児童ポルノでやったのが自民党の森山真弓やアグネス・チャンや創価学会の女性たち。腐りすぎている。
16:54 就寝中の電磁波送信による安眠妨害についてはここにノーベル賞はいらないと書いてから送信が減りかなり楽になっている。やはり俺を奴隷として使役して儲けたいだけの金の亡者の貧乏人の大内純子と北朝鮮軍の営利カルトの創価学会のしわざだ。大金をせしめるあてがなくなったことで送信で虐待する熱意を失ったようだ。それでもまだ大内純子と結婚しろなどど性懲りもなく創価が送信してくる。俺が熱心なバイク乗りだったという事実を隠蔽して女(ゲイ)だと言い続けてきたこの点だけで大内は大罪に値し絶対に許すことはできない敵だ。大内は俺の宿敵丸山眞男・ゆか里と同類の今生の仇だ。なお北朝鮮学系者の丸山眞男・ゆか里は俺がバイク乗りだということを知っていた。だから今まで「大石はバイクになど乗れない」と嘘を広めてきたのが史実の捏造と悪意以外の何物でもないことがわかる。中村恭己に頼まれてバイクの後ろに乗せて何度も丸山宅に届けたことがある。眞男が中村に「あそび」(バッファー・余白の意味)について話したとき眞男は俺の方を向いて手でバイクのブレーキを握るしぐさをして「あそびってあるでしょ」といった。だから眞男もゆか里も俺がバイク乗りだということをよく知っていたことは疑いない。
(0:00) 中村恭己は俺のバイクの腕が非常に優れていることを知っていて「バイクはアツミの後ろにしか乗れない。他の運転は危ない」といっていた。中村の生徒の滝沢俊信もバイクに乗っていて中村なしで尾瀬沼までツーリングに行ったことがある。滝沢とは中村グループの中では割と親しくバイク(FZ400)を借りたこともある。滝沢は猫好きで俺の猫も大事にしてくれ話が合ったということもある。滝沢は俺が当時関心を持っていた仏教の話をするとよく聞いていたが後でわかったことだが滝沢は立正佼成会員だったらしい。滝沢の住む杉並区堀之内のすぐそばの和田に立正佼成会の本部がある。杉並区・中野区には立正佼成会の信者は多い。滝沢は俺が禁欲を続けどの寺や教団にも所属せず続け作務衣を着てたった一人で座禅したり真言を唱えたりしていたことを覚えているはずでその修行めいた行いが実って風を吹かせられるようにまでなった俺を見て感動するだろう。
当時俺は、タクシー運転手から出家し40代で二度の千日回峰行を達成した酒井雄哉さんをテレビで見て憧れた。酒井さんの修業した比叡山は洛北高校の裏山でよくバイクで走ったなじみのある場所だが京都生まれでない俺は比叡山の関係者を知らず「洛北高に誰か比叡山に入れてくれるつてはないかな?」と考えていた。禁欲するために耐え難い肉欲の炎を消すには本格的苦行の修業が必要だった。だから酒井さんのように山岳を駆け回る修験道の修業をやって役小角のようになりたいと思った。そんなころ俺はいつも深い悩みと苦しみを抱えていたがテレビの子役に心を動かされた。それを触媒にして世界に表現したのがパソコン通信だった。だからその中には天台宗や真言宗の修験僧になって欲望をねじ伏せて楽になりたいという思いもこもっていた。それを読んだ丸山眞男は直後に死んだが眞男の偲ぶ会の場所に選ばれたのが信濃町の公明党本部の隣の葬祭会館の千日谷会堂だった。眞男が世人の予想に反してあえて創価学会の本拠地で偲ぶ会を開いたのは俺への返答でもあったのだろう。でも俺は「なんだ、伝統仏教じゃなく創価学会かよ、それに日蓮宗かよ」と残念に思った。パソコン通信に仏教語を書いた俺に対する丸山夫妻の日本文化に対する無教養さを非常に残念に思った。左翼の丸山夫妻は「真言宗や臨済宗の伝統仏教は典型的な右翼だから戦時中に戦争に反対した左翼の創価学会に入れ」といいたかったのだろう。眞男がまだ元気なころ中村恭己が呼ばれて吉祥寺の自宅に話をしに行った。眞男との話のネタに困る中村はいつも俺から聞いた話を自分が考えたことのように眞男に開陳して眞男の歓心を買っていたのだった。その時も中村は俺から聞いた仏教の話を丸山にしようとすると宗教と日本文化が嫌いな眞男は顔をしかめて話を遮って「中村君、社会科学的にいろんな分野に関心を持つのはいいことだが宗教にだけは関心持たなくていいんじゃないかな?中世のスコラ学派が『神の存在証明』をさんざんやった。でも全部失敗した。だから神は存在しないから宗教に関心を持たなくていい。それに宗教なんてあんなもの、どうして信じられるのかね?・・・・ただし宗教を否定すると人間は永遠に堕落する」といった。この話から丸山眞男はマルクス主義者の無神論者でキリスト教とその宗教音楽でしかないクラシックに非常に親和的ではあるもののキリスト教の信者ではないことがはっきりわかった。(眞男の母親は熱心な浄土真宗の信者)吉祥寺の丸山宅には故人の遺影があるのみで仏壇も神棚も祭壇も十字架もない。
「丸山眞男は無教会派キリスト教の研究者であってもキリスト教徒ではない」という俺のこの話をキリスト教徒は信じようとしないだろう。でも本当だ。無教会派の研究は眞男の東大の政治学の師で無教会派の信者の南原繁に命令されて嫌々ながらやったまでのことだ。眞男がキリスト教徒ではないと断言できる理由は眞男が最も好んだクラシック演奏家(戦前のではなく眞男と同時代に生存していた演奏家)がソ連のピアニストのリヒテルだからだ。中村に連れられて俺も武蔵野市民文化会館でリヒテルを見たが怪物のような演奏だった。西側の有名一流ピアニストが子供だと思えるくらい。眞男も会場にきていた。眞男は「リヒテルのような傑出した才能と個性はソ連でなければ育たなかった。ソ連のアカデミーの教育システムが優れている」とべた誉めした。ほとんどソ連に対する信仰を持っていた。1976年函館にソ連のMig-25戦闘機のベレンコ中尉が亡命してきたとき俺は中一で世界に出現したばかりのマイコン(パソコン)に心を奪われていた。インテルの発明した集積回路の8080、8088が世界を変え始めていた。その後俺が成人する前年の1982年ごろ丸山眞男はこのMig-25亡命事件について「Mig-25には半導体は一切使われておらず真空管がぎっしり詰まっていた。だから西側の半導体よりソ連の真空管の方がいいのだ」と科学的無知と近未来予想力の無能をひけらかしていた。それはソ連と共産主義というイデオロギー(思想)を妄信したがゆえの無知と無能であっただろう。マルクスは「宗教はアヘンである」といって宗教を否定してソ連が成立したのだから眞男が同時にキリスト教徒ということは絶対にありえない。マイクロチップの人工知能が世界を変えつつある現在知識人の分際で一度でも「半導体より真空管の方がいい」などと愚かな発言した学者を世界はもう許すべきではない。丸山眞男の神格化をもうやめよ。さっき送信であったが「丸山眞男は聖人」というのをやめろバカ宗教のバカ信者。
(23:38) 讃美歌の「神の・・」とか「カミソリ」とかの送信やめろ創価学会とプロテスタント。宗教の強制やめろ。俺は宗教団体に人生を潰された。
(7/10 15:40) 丸山眞男は野呂栄太郎らの「講座派」の日本共産党に共鳴した共産党員であり自宅では赤旗を購読していた。東大生時代に非合法の唯物論研究会の会合に出席したため元富士署に逮捕されている。戦前は共産主義活動は重罪に値し唯物論研究会の中心人物の戸坂純は44歳で獄死している。これらの事実から眞男がキリスト教徒だということはありえない。革命家は教会の祭壇にひざまづいて神に祈ったりしない。唯物論は神や霊や魂の存在を明確に否定している。しかし眞男の東大の師の南原繁が熱心なプロテスタント無教会派の信者でマルクス主義を批判したためその弟子の眞男も革命家の正体を隠していた。眞男が子供時代から最も影響を受け人生の師と仰いだのは南原繁ではなく大阪朝日新聞の新聞記者の父親(丸山幹治)の同僚だった長谷川如是閑だ。長谷川はロシア革命の影響が日本に及んで起きた日本初の民主化運動の大正デモクラシーの中心人物であり日本に共産主義を紹介した理論家だった。政治学とは無縁の眞男の俗なクラシックや歌舞伎や落語に至る広く浅い雑学知識はこのブンヤ(新聞記者)の長谷川の影響だ。眞男は子供時代から足しげく如是閑おじさんの家に通い蓄音機を聞くなどして知識を吸収している。1918年、大阪朝日新聞が掲載した「白虹日を貫けり」の表現が天皇の暗殺を暗示していると当局に目をつけられ発行禁止処分を受け朝日の幹部が黒龍会の右翼に襲撃される白虹事件が起きた。大阪朝日の記者だった長谷川如是閑と丸山幹治は記事の責任に連座し退社し大阪毎日新聞に移った。
岩波書店刊 丸山眞男集 別巻
wikipedia 「丸山眞男」
wikipedia「丸山幹治」以前この欄には「家業は貧農」と書かれていた。丸山幹治の出生地は長野県埴科郡清野村大村八八一番地。(現在の長野市松代清野) 「全国部落調査」によるとこの地は被差別部落地区だ。部落民のことを「キヨメ」(清める人)と呼ぶが「清野」は被差別地区を表していると考えるのが適当だ。
丸山眞男長男の丸山彰。極左過激派のブント(共産主義者同盟)のリーダー各の人物。
丸山眞男と長男丸山彰。彰は強い天然パーマ。
丸山眞男の強いくせ毛はアイヌのよう。
アイヌ
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