大内氏は百済からの渡来人であることの証明。国立国会図書館所蔵の「姓氏家系大辞典」から

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国立国会図書館デジタルコレクション 姓氏家系大辞典 第1巻 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123818 大内氏(548ページ)から

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書き出し

「大内氏:任那族多々良公流(稱餘姓)任那國王爾利久牟王の裔なる多々良公より出で、久しく周防國佐波郡多良郷(高山寺本・達良に作り、太々良と註す)にあり、後隣郡吉敷郡大内邑に移り、其の地名を稱号とせしものの如し。周防に多々良姓の古くありし事は、此の地名、及び**郡**郷延喜八年戸籍に「多々良公秋男」の見ゆる似て明白なり。しかるに大内氏は後世・百濟王子琳聖太子の後裔と稱す。何によりて然るか詳かならざれど、誤りなる事は明白なりと云ふを得ん。蓋し*氏平群の系を採れると同様、後者とする方、歴代を明瞭ならしむるを得るが為ならんか。歴代が詳かならざる為に、同族、類*の系を借りて自家のものとする傾向は、他に多く表はるればなり。」

大石の現代語訳

大内氏:任那(みまな=韓国南部)多々良氏流(稱餘姓):大内氏(多々良氏)は任那国王の爾利久牟王の末裔の多々良氏より出て、長く周防国佐波郡多良郷に存在し(高山寺本では達良、太々良と書かれている)その後、隣郡の吉敷郡の大内村に移り、其の地名を大内の苗字としたもの。周防に多々良姓が古くからある事は、この地名及び**郡**郷延喜八年戸籍に「多々良公秋男」が確認できる事実をもって明白だ。それにもかかわらず大内氏は後世、百済王子琳聖太子の後裔と称している。何を根拠にそれを言っているかはわからないが、誤り(虚偽)であることは明白であると言わざるを得ない。(中略)歴代の家系がはっきりしないゆえに、同族や類の系図を借りて自家のものとする傾向は、他家の系図にも多く表れている。

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