「正統と異端」という二元論は精神分裂病の血を引いた丸山眞男の病的な妄想。

異端とは線分でいうなら片方のプラス極に対するマイナス極のこと。円でいうなら中心部分が正統、縁(ふち)の帯状の部分が異端。村の辺縁部に部落が多い。

中国とは中原と呼ばれる大陸の中心部分の穀倉地帯を示す地域のこと。中原の周辺の帯(異端)地域の異民族(遊牧民、モンゴル人など)を、東夷西戎南蛮北狄(とういせいじゅうなんばんほくてき)と呼ぶ。四方の異民族を合わせて四夷(しい)という。東夷=東のエビス、西戎=西のエビス(戎橋の戎と同じ)、南蛮(南の蛮族)、北狄=北のケモノ=北の遊牧民の匈奴のこと。

正統・異端論はこの中華思想に丸山眞男がキリスト教の異端論を合成して作った妄想。異端とは、もともとは公会議に出席したキリスト教宗派が出席しなかった他宗派に対するリンチ(磔刑・火あぶりなど)するときにレッテル貼りして正当化するのに使った言葉。=異端審問で異端認定して死刑など。

その異端という言葉を左翼やソ連が政敵を粛正するのに使った。丸山眞男がキチガイなのは、その異端に区分された各勢力が相互に繫がり、正統勢力に対して革命を起こしうるといった点。正統と異端をひっくり返して、異端(部落民)が正統になり、正統が異端(部落民)に落ちうると言った点。

眞男は例えば、「源氏が正統で平氏が異端、北朝が正統で南朝が異端、表千家に対する裏千家が異端」などと次々に正統・異端認定しているようだが、異端とされた平氏と南朝が手を結んで源氏と北朝に対する革命を起こすといった状況は考えにくいし、平家と裏千家も関係ない。異端同士が必然的につながるという論拠が弱い。理科が苦手(理科コンプレックス)の丸山眞男が物理をかじって疑似科学の社会学や政治学に引用した結果にすぎない。プラスの陽子とマイナスの電子や、作用と反作用といった物理の世界に限定した話なら関係なくもないが、源氏がなぜプラス(正統)に区分されるのか、平氏がなぜマイナス(異端)に区分されるのかという必然性がない。これでは疑似科学が好きなカルト思想と同じ。また、物理の世界の素粒子のようにプラスに対するマイナスが必ず存在するといった論拠を、表千家に対する裏千家が存在する理由に適用するのは噴飯ものだし、「プラス金利に対するマイナス金利が必ず存在する、いや存在するはずだ!」叫ぶのは、病的に二元論にとり憑かれた精神分裂病患者の丸山眞男の妄想以外の何物でもない。金利を取られてまで銀行に預金する人はいないのだから、マイナス金利など存在せず、それは口座維持手数料と呼ばれるべきで、いずれマイナス金利策のボロがでて崩壊すると思っていたが、やはり金利の大暴騰時代を迎えて、株が大暴落しマイナス金利政策の矛盾が露わになった。住宅ローン金利が急上昇しているからマンションの価格上昇もこれで終わりだろう。

なぜ座禅をするかといえば、なぜ自分が臨済宗の信者でありたいかといえば、何も考えない心をつくること、言語を忘れること、白と黒、内と外という二元論の相克を超えるからだ。「二つに非ず、一如なり」だ。一切の言葉を捨て、言語脳を完全に止め、意識を消し、自分を消し、内と外という二つの世界の区分が消えて、自分が宇宙であり、宇宙が自分であるという一如を観じたとき、風が吹く。二元論を超えるというは、悟るというは、くだくだと言葉や理屈を並べてもう悩まず、何物も恐れず、余計な希望も持たず、風のように自由な心で淡々と生きることだ。

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