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1977年に発行された「東海大付属小10年の歩み」
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巻頭に創立者の松前重義。東海大付属小のある静岡市清水区(旧清水市)は東海大建学の地。
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初代後援会長だった父。
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東海大付属小は1967年創立。年表中の「東京都知事に(美濃部亮吉氏)社公推せん」に、創立者の松前重義とその息子の松前仰が社会党議員(社会党右派)の東海大と、公明党及び1971年に創立した創価大の深い関係がわかる。(美濃部亮吉=マルクス主義経済学者。美濃部達吉の息子)
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けさも、俺が「東海大付属小で部落差別されていた。」という虚偽の就寝中の送信があったが、これを見てもわかるようにありえない。公認会計士で信用と人望があったから初代後援会長に選ばれたのであり、部落民で貧乏人だったなどということはありえない。父のメインバンクだった第一勧業銀行(その後富士銀と興銀と合併してみずほ銀となる)の清水支店長は、毎年運転手付きの黒塗りの車で父の事務所にやってきて、中元歳暮を渡し父と話をしていた。父の別の預金先の相互銀行に頼んで、東海大小の生徒全員に貯金箱をプレゼントしたこともある。静岡市はまったく雪が降らないのでスキーをできる者がおらず、富士山の人工雪のスキー場の日本ランドで開かれていた東海小のスキー教室の講師を、北海道生まれでスキーがとてもうまい父が頼まれ、生徒全員に手取り足取りで父が教えたこともある。それなのにこの仕打ち、部落の貧乏人呼ばわりしリンチする東海大と創価は許せない。清水税務署で高額納税者として掲示されたこともある父を貧乏だったと嘘をつく貧乏清水区民はひどい。

後援会長の大石房男が、俺の父であることを証明する写真。小学4年の俺と父。
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皇室は創価学会と東海大とで俺の人生を破壊した責任を取れ。紀子の静岡の父親が死んだというが結構なことだ。部落に落とされ侮辱された父の呪いではないか?

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