きのうのブログを久しぶりに書いたのは、就寝中の送信が激しくなったからだが、それは散歩で慶応幼稚舎の前を通ったからではなく、きのう芥川賞・直木賞の発表に合わせて創価が送信を激化し、その反撃文を俺に書かせていたとわかった。思考誘導に乗ってしまった。しかしきのう作家になどならないとはっきり書いた。芥川賞・直木賞などの日本のゴミ作家に同列に扱われるのは不名誉極まりないことだし、俺の書いてきたことはドキュメンタリーであって小説(フィクション)ではない。創価とマスコミとゴミの石原や大江や庄司薫(東大丸山ゼミ出身。中村紘子の夫)や村上春樹(京都人)らと同じ業界の作家共が、俺から盗み続けてきた事実を既成事実化するための作家の強制を断じて拒否する。(作家が作家からなら盗んでも許されるということ。業界内で処理するので著作権と出版権の侵害訴訟にならないということ)ノーベル文学賞も拒否する。アメリカ軍の別働隊である創価学会に受けてきた信じがたいほど残酷な虐待と迫害の貴重な日々の記録(日記)が、小説(作り話)だとレッテルを貼り付けられ、事実ではなく個人が創作したストーリーであると決めつける情報操作の企てに絶対に乗らない。命がけで書いてきた血の滲むような記録を、小説家の軽薄なストーリとして扱われ、エイベックスや幻冬舎や小学館や講談社のようなゴミ会社に映画化され、大内純子の日本テレビにドラマ化され、消費され消えていくことを絶対に許さない。俺はもう58歳で、残された人生は少なく、このブログと動画と写真が人生最大の労作となるから、これは俺の人生そのもであり、これを記録するために生まれてきたといって過言でない。だからいかなる理由があろうと、どんなに大金を積まれようと、絶対に文学賞は受領しないし著作権と出版権は譲渡しない。出版社が行っている違法出版を絶対に許さない。しかしドキュメンタリーに対する賞なら受領する用意がある。記者にはなっても絶対に作家にはならない。俺が創価学会=隠れ米軍の手口を暴露してきたブログと動画と写真は、スノーデンの暴露と同様に、世界に注目されている。米軍は世界中で嫌われているが、創価学会のようなダミーを使って侵略を繰り返す事実に、世界は震撼している。それをゴミの作家の作り話の小説であるとか、芸能にすぎない映画とだとかという情報工作に絶対に乗らない。このブログと動画と写真は、被害者本人がつけてきた被害記録であり、事件が起きた瞬間の記録であり、水俣病問題を後世の監督が俳優を使って再現した「ミナマタ」のようなハリウッド映画とも違う。俺は俳優ではないし演技したことは一度もない。個人の感情の発露であって動画内で演技はまったくない。
(永福町の中村アパートの住人の福原兼男が講談社総研。新潟県魚沼郡津南町外丸の閉鎖部落の酪農家の息子で和光大卒。ゴミ心理学の岸田秀の弟子。その後弱小ソフトウェアハウスに就職したがそれが講談社に買収され出世。ビル・ゲイツのお友達(笑)とか。倭寇の大内が関与。)
環境保護の観点からも、製紙のために木を伐採し、パルプの溶解に大量の化石燃料を使う紙の本の使用は即刻やめるべきで、電子出版に移行しないなら、本の販促にすぎない文学賞も即刻やめなければならない。出版界と製紙業界は環境を犠牲にして大量に紙を作って製本して本屋の店頭に並べ、それが9割方売れ残って、それをまた燃料で溶解して、木を伐採して作った新パルプを混入して(再生紙だけだと残インクで紙が黒くなるため)また出版して売る、という環境に多大な負荷をかけて儲けるビジネスモデルを即刻やめなければならない。電子出版ではなく紙の本でなければいけない理由がない。(電子出版(データ)では、創価学会員が池田の本のように「ご本尊」にできないから)出版界は、ヤフオクや古書市場で今もあふれかえる「プレイボーイ」(集英社)などの児童ポルノ写真本だけでなく、毎年大量に発生する学校教科書のゴミにすら責任を取らない。もう教科書を買ってはならない。すぐ読み捨てられる雑誌や新聞を二度と買ってはならない。それは環境に対する罪であり、人前でそれを開くのは恥と知れ。今すぐ教科書を全廃してタブレットの教科書に移行しなければならない。解説や問題集へのリンクも使え、子供には高価な教科書代がかからず、生徒にとって利益が多い。紙の教科書の利用は、生徒の学習を遅滞させている。ハイパーリンクのない紙の本を読む気にはもうなれない。紙の本はもう老人しか読んでいない。テレビも映画もCDも老人しかもう使ってない。
芥川賞・直木賞の受賞作の題名に俺の個人情報の暴露が含まれている。児童ポルノ販売や著作権侵害や無断出版など違法行為をやめない出版社と作家は暴力団と同じであり絶対に本を買ってはいけない、読んではいけない。