日立製作所と常陸宮らの皇族と公安警察の司令で製造されたと思われるマイクロチップインプラント(ニューラルダスト)はこのようなもの。https://www.hitachi.co.jp/New/cnews/030902a.html 2003年発表された日立ミューチップ。その二年後の愛地球博の紙のチケットに混入されたのが最初の実用とされる。このチップにEEG(脳波計)を内蔵させれば思考・視覚・聴覚の監視に転用できるはずだ。俺が日立清水工場と清水四中の隣の清水駿府病院に入院させられたのは2001年で、時期的に一致する。入院直後注射を打たれ数日間意識がなかった。チップに内蔵されたEEGとはこのようなもの。https://www.neurosky.jp/brainwaves/ ニューロスカイというこの会社の日本法人が、投資顧問(助言業務)でレポート屋の吉田虎禅の日本橋蛎殻町の事務所(経済分析研究所)の入った中銀日本橋ビルの隣の、人形町シティプラザにある。吉田の事務所の隣は昔小豆などを売買した穀物取引所のあった場所だ。(穀物取引所は大伝馬町の工業品取引所に移転し合併)吉田は元々株式や経済の評論家ではなく、商品先物相場業界の人で、大儲けしたのは株ではなく小豆相場。ニューロスカイ社は以前「考えただけ(脳波)でスマホを動かすアプリ」を売っていたが、思考の外部からの読み取りが可能だと世間に知れるのを恐れたためか、発売を中止した。しかし今も中古で入手できる。ニューロスカイの隣の吉田虎禅の中銀日本橋ビルの前には日刊工業新聞社がある。その隣が化学・肥料メーカーのラサ工業本社だ。「ラサ」は、昔、ラサ島に大量に堆積した海鳥の糞を採掘して、日本に持ってきて肥料として売ったことからきている。
愛地球博の目玉展示は海から引き上げられた古代ギリシアのサテュロス像だった。高校時代から俺が美術的な意味でサテュロス像に注目していたことを大内が知っている。半人半獣のサテュロスはサチュロス、ファウンとも呼ばれ、ギリシア・ローマ時代に盛んに描かれ像が作られたが、ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」でも有名だ。ギリシア時代に信仰の対象になったサテュロスは、牧神であり農耕神であり、特に葡萄と葡萄酒の神であり、バッカスに通じる。キリスト教の葡萄とワインへの信仰は、キリストが生まれる以前のサテュロス信仰をパクったものだ。上半身が人、下半身が動物のサテュロスは男根を勃起させたユーモラスな姿で葡萄を収穫する壺絵が残っていが、葡萄と葡萄酒信仰をパクったキリスト教世界ではサテュロス=サタンだとして忌み嫌っている。キリスト教でいう悪魔とは、単に異教徒のことを言っているにすぎない。幼稚だ。
そのほか愛地球博ではバオバブの木が展示されたが、これは小説の「星の王子さま」に出てくる木のこと。少女が好きなお伽話で、女々しいバカ兄は読んでいたが、俺は少女文化は嫌いだし恥ずかしいのでまったく読んでない。あと、ハロプロが地球博で起用され、関西人のつんくが作ったキャッチコピーが「熱っちい地球を冷ますんだっ!」だった。表向き地球温暖化防止のコピーだが、これは「敦っちい恥丘を冷ますんだっ!」の意味。東海大付属小のとき、古墳の隣に住む部落の小林が「全員に・・ちい」とうあだ名をつけようと強引に決め、みんなそれを使った時期があった。だから、あっちいは俺のこと。東海大付属小のバカどもの関与。それがつんくにつながっている。つんくは毎年自民党に数千万単位の献金をしているというが、東海大附属小の伊藤雅史(布団屋「弥生」)に、「悪いことをして見逃してもらうには政治家に多額の献金をすること」と話したことがあるから。5年くらい前、ハロプロの小学生の橋迫という少女は、黄色い帽子にランドセルでへそをだして踊っていた。これ港区でやっていいのか?橋迫の顔が静岡市立城内中学校で仲が良かった松永咲子とそっくりだったので、つんく(ホモ?)の悪意を感じた。ハロプロがレズ集団ということは、言われなくてもわかるが、関心ない。近畿大中高大卒のつんくは浄土真宗系のカルトに入っているらしく、ハロプロも全員その信者だとか。
あと中村恭己の明星学園時代の親友で、同学園の教師の息子で皇族のバカ眞子・バカ佳子と同じ国際基督教大(明星学園と同じ三鷹市にある)に進学し、電通テックの副社長になった善方隆が「やっぱり地球博も大画面テレビだっ!」と広告のキャッチコピーを叫んでいた。「大画面テレビ」とは俺が父に安いのをみつけてやった大型ブラウン管テレビのこと。日立製。NHKの丸山眞男の追悼番組「戦後民主主義と丸山眞男」で、丸山の葬儀(偲ぶ会)が開かれた信濃町駅前の浄土宗一行院の千日谷会堂(公明党本部の眞隣)に置かれた大型テレビに、生前の眞男の姿が映し出されるが、それも日立製。善方隆が電通の子会社の電通テックの副社長なのは、俺が東海大附属小生徒会の副会長だったから。嘲笑と嫌がらせ。生徒会副会長までやった人物を同窓生と東海大学関係者全員でリンチし、弾圧差別し、人体実験し、殺そうとし、今も寄生し搾取している。
蛎殻町のニューロスカイから約150mの位置に田辺三菱製薬がある。戦時中に凶悪な人体実験を繰り返した731部隊の出身者が作った会社ミドリ十字は、薬害エイズ事件で有罪となったが会社は存続し、精神薬の吉富製薬と三菱製薬と田辺製薬と合併し、田辺三菱製薬として存続している。731部隊は、細菌・化学兵器は資源の乏しい日本に最適だという昭和天皇の強い要望から創られた部隊で、表向きは関東軍防疫給水部と称したが、ハルビンで多数の民間の中国人を拉致し、どれだけペスト菌を注射したら死ぬかとか、どれだけ血を抜けば死ぬかなど、残酷極まる人体実験を行った。大量のネズミを飼ってペストノミを培養し、それを中国の村に放って村を壊滅させた。金属製の弾丸では発射時の熱で菌が死滅するので、陶器製の弾丸に細菌を詰め、敵地に発射した。どれだけ冷やせば凍傷になるかの実験と称し、児童を氷の入った冷水に投げ込んで死ぬまで観察した。731部隊は第二次大戦の最悪の戦犯であることは間違いないが、なんと東京裁判で有罪にならなかった。アメリカ軍やアメリカの医師や製薬会社が731部隊の行った人体実験のデータを熱望したからだった。731部隊員(6000人程度)はアメリカへのデータの譲渡を条件に全員が無罪になった。戦後、731の出身者は、アメリカの保護もあって出世し、起業したり(ミドリ十字)、医院を経営したり、全国の医科大学の大学教授となり、名誉教授クラスに収まった者も多い。
戦争直後に起きた猟奇的な銀行強盗事件=帝銀事件の犯人も731出身者だと言われる。帝国銀行椎名町支店に開業前に現れた白衣の男性が「保健所から来ました。この地域で伝染病が発生しました。ついてはこの予防薬を今すぐ飲んでください」と言って全行員の湯呑に液体を注いだ。男は「私の合図で一斉に飲んでください」と音頭を取って飲ませた。行員はその場でバタバタと倒れ全員即死した。青酸カリだった。犯人は大金を奪うことに成功した。警察はその手口があまりにも鮮やかだったことから、731部隊の出身者しか起こし得ない事件と断定し、部隊の出身者を洗い、容疑者をほぼ特定していた。しかしどこかららか圧力がかかり、731出身者は容疑から外れた。「天の声」=アメリカの声だった。731の容疑者のかわりに、椎名町に住む画家の平沢貞通さんが逮捕された。絵を描く人には口下手でおとなしい人が多いので、平沢さんは警察の誘導尋問に乗ってしまった。平沢さんは死刑判決を受けて長年服役し、死刑なので再審されないまま獄中で亡くなった。731部隊の闇はあまりにも深く、それが発覚しかかるたびにアメリカが圧力をかけてきた。1989年に新宿区戸山の工事現場から刃物で切断された大量の人骨が見つかった戸山人骨問題もそれだ。新宿区戸山一帯が関東軍防疫給水部(731部隊の日本本部)があった墓所で、現在若松河田駅前に集中している国立の医療機関は、医学界で一つの学閥をなすといえる731の出身者が創った施設だ。日本に上陸したアメリカ軍の追求を避けるため、敗戦の前夜、戸山の防疫給水部は書類を燃やした。さらに人体実験をして切り刻んだホルマリン漬けの人体標本を、戸山の箱根山付近に穴を掘って埋めたが、1989年の工事でそれがザクザクと出てきたものとほぼ判明した。人骨は中国人のものと見られ、すべてが鋭利な刃物や鋸で切断されていた。バブルの熱気さめやらない1989年の東京で起きたこの事件は、東京のローカルニュースでしか扱われなかったので知らない人も多い。付近に住む中国・韓国人の方々がなんとなく集まって小規模に慰霊祭を行っただけで、政府による謝罪や責任追及はなかった。
ここで特に言いたのは、731部隊の多くが京都大学医学部の出身者であることだ。1996年、俺が中村恭己の家から父の自宅兼公認会計士・税理士事務所のあった静岡市清水区に移住した直後、中村から逃げらることができて安心して近くのツタヤ清水辻店で借りたビデオが、「黒い太陽731」という香港映画だった。中国での731部隊の凶行を再現したドラマだった。その映画(ドラマ?)の最後で、敗戦の前夜に731部隊を解散するとき、部隊長の石井四郎中将が、隊員へ行った訓示が印象的だった。石井は「いいか!ここでの秘密を外に漏らしたら、この石井が、どこまでも!どこまでも!追い詰めて行くからなーっ!」とまだ幼さの残る若い部隊員に訓示した。これを見た俺は中村の姿がフラッシュバックしてしまい一瞬クラっとしてしまった。中村恭己は常々、「いい!もしここから逃げたら、丸山先生がどこまでもどこまでも追い詰めて行くからねーっ!」と恫喝口調で中村ピアノ教室の生徒を脅していた。その姿が石井中将とダブり、俺は「あ、丸山眞男は731の石井四郎と同じなんだ」と直感的に悟った。
中村の脅迫口調は「秘密(性行為の)を喋ったらどこまでも追いかけて殺すからな!」と脅して被害者を口止めする、小児性愛者に典型的な脅しだとわかった。
その5年後、俺は精神科の清水駿府病院に入院させられ、脳に電極を埋められたことになる。だから東海大医学部の池上直美や慶応大医学部の佐倉伸洋だけでなく、京都大医学部と京都府立洛北高・京都市立紫野高(兄の卒業校)卒業生も関与している。俺は京都府立洛北高校に入学する直前、京大西部講堂にやってきたロックのポリス(スティングの出身バンド)のコンサートを見たが、演奏が強制的に中止される「ポリス事件」が起きた。これを最初に世間に報じたのは俺が書いた洛北高校新聞だった。俺の書いた記事に京大は怒り、洛北高に圧力をかけ、俺を退部させ、新聞を無期限休刊にした。今、その記事が載った新聞も隠蔽し、事件の展開を捏造し、責任逃れしている。京大が俺を恨んで人体実験のモルモットに選んだのもこれが理由だろう。
清水駿府病院から退院したとき、頭頂部にできものができ、取ってみると血豆だった。取ると血が止まらなかった。それがまたかさぶたになるが、取るとまた出血した。頭頂の頭蓋骨を穿孔して、脳電極を挿入して、パテで埋めたのかもしれない。俺に埋められている異物は複数あるはずで、それは731部隊の医者のようなノーベル賞受賞者の山中 伸弥らの医者と、製薬会社が、俺に何度も実験してきたからだろう。京大に付属した山中の研究室は錦*という被差別部落にある。1995年にパソコン通信に、ミドリ十字と731の関連について書いたので、731の医者が報復にチップを俺に埋設した可能性が高い。俺が731について書いた事実はすではマスコミで報道されていたことで、俺独自の情報は何もなかったのにだ。(日経新聞の「選択」という雑誌広告にミドリ十字が731の会社であることが書かれていた)
ここに書いた残酷で非人道的な事実を、誰が立案して指揮して行ってきたのか?部落と皇室と公安警察=警察庁警備局警備部の静岡県警警備部だ。
静岡県人は皇室に非常に弱い。徳川家康の居城の駿府城のあった静岡市は江戸時代まで徳川幕府の直轄地(駿府=駿河の府中)だったので、領民は柔順で、権力に自ら尻尾を振る気質を今の静岡県人は受け継いている。東京では消えた皇室の威光が静岡という田舎では通用する。未開で無教養で世間知らずで貧困な土着の清水人ではなく、医者になった同級生の佐倉伸洋と竹内嘉苗(東京都北区上中里の「かなえ歯科」院長)まで俺を裏切って残酷に人体実験に参加した背景には、皇室の意があったことは想像にかたくない。静岡県人にとっては皇族が「人を殺せ」と命令すれば、それに従うことは善なのだ。従わない者は悪であり非国民(非県民)とみなされる。731部隊員が昭和天皇の命令だからと、マルタ(人体実験材料を示す隠語)と称した中国人をさらって、眉ひとつ動かさず切り刻んで人体実験したようにだ。紀子の母親の川嶋和代(旧姓・杉本和代)は静岡市の接骨院出身で静岡英和女学院中高卒(東洋英和と同じプロテスタントメソジスト派の英和女学院)で、紀子は静岡市駿河区の済生会病院(三笠宮が名誉総裁)生まれだ。渡辺久芳の実家の近く。その後紀子はすぐ渡米するが、小1時代をを再び静岡市で過ごしたので、静岡市と関係が深い皇室の第一人者だ。また、三笠宮彬子がしょっちゅう地方に行って支持者と何か得体のしれない活動を繰り返している、というマスコミ報道があった。皇族が地方人と地方政府と地方警察を意のままに操り、皇室の俗悪な個人的願望を満たさせるために私兵のように使い、皇族と面識もない無関係の一般都民の俺に結婚を強制するなどの、テロ活動を都内で繰り返している。警視庁も自衛隊も総理大臣も都知事も手を出せない。天皇制がいらない。宗教がいらない。天皇制を打倒しなければ日本に民主主義も近代も法治も人権もない。
六本木の東京ミッドタウン(赤坂9)には創業明治33年の食肉店「肉の杉本」が入っている。本店は愛知県でスーパーのユニー系のアピタへの出店のほか静岡県にも多い。
徳川家康は駿府城で亡くなったが、俺の卒業した静岡市立城内中学校は駿府城内中学校の意味で外堀の中にある。駿府城内には学校や公共の施設が多く、城内中の隣はバカ兄やその同級生の渡辺久芳、平口、服部、山梨、工藤と、東海大付属小で俺と同級で歯科医(東京都北区のかなえ歯科)になった竹内嘉苗が通った静岡大付属中がある。そこから約700mの堀端には、静岡英和女学院中高と、明治大副学長の牛尾奈緒美(旧姓中村で家業は中村塗装店。被差別地区の淡島町(入江南町、栄町)の出身)や法務大臣の上川陽子の通ったカトリックの静岡双葉中高がある。その隣は静岡カトリック教会で、そこから150mの堀端には静岡地裁、そこからさらに150m行った堀端の地方合同庁舎には法務省公安調査庁静岡公安調査事務所(城内中から310m)と静岡県警本部警備部(公安警察)が入った静岡県庁舎(城内中から110m)がある。サッカーの三浦 知良は城内中ではなく城内小(現・葵小)の出身で、俺とは全く無関係。
城内中に入学早々の中1の1学期、隣の席になった女子の富山(とみやま)久美が、俺と同じ少林寺拳法をやっていると知りすぐ仲良くなった。富山はクラス1のグラマーで、その意味でも思春期を迎えた俺に関心があった。富山に、駿府城北御門を出た所にある静岡市中央体育館で開かれた来日した中国人による「中国武術公演」に誘われ休日に一緒に見に行ったことがある。少林寺拳法は中国武道をまねて日本人が作った武道で、中国の少林寺の少林拳とも異なるが、似ているのは確かなので、二人とも中国武道に関心があった。公演は五節混(5連のヌンチャク)まで使った本格的なもので見ごたえがあった。当時偶然ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」が流行っていたが、俺や富山が少林寺拳法を始めた方が映画より早く、影響を受けて始めたわけではまったくない。富山(とみやま)久美と松永咲子の名前を富士山と浅間神社にこじつけて結婚を強制するのをやめろ、バカ皇室と静岡県警と静岡公安調査事務所。富山(とみやま)と行ったのは中国在住の中国人による中国武道だ。少林寺拳法も日本純粋の武道ではない。空手(韓手・唐手)も韓国から伝わった沖縄ものであり、剣術や槍術といった、道具(刃物)を使う技能ばかりを重視した日本には、素手で戦う伝統的拳法は存在しなかった。
紀子、お前ももう結婚の強制をやめるんだな。でないとお前の実家のことをもっと書くぞ。身の程を知れ。
中1のクラスメートの富山と中国武道を見た1976年は、毛沢東の死んだ年(1976年9月9日)だ。偶然この年に始めたBCL(海外からの短波放送を聴く趣味)で、北京放送を聴いていたので、毛沢東の葬儀から、毛沢東が後継者に指名していた華国鋒の国家主席への就任、しかし地方に左遷されていた毛のライバルの有力者の鄧小平が北京に戻り、1ヶ月ほどで華国鋒は失脚し、毛沢東の側近の四人組を粛清する四人組事件が起きたことまでよく憶えている。四人組は毛夫人の江青らのことで、老人ボケしていた毛に代わって中国の権力を欲しいままにしていた。その後四人組を追放して鄧小平が始めた改革開放経済が今の中国の経済発展の起点になった。それを中学生の俺はリアルタイムで聴いていた。聴いた当時から何か歴史的な大事件が起きていることはわかったので、まだ高かったカセットテープを小遣いで買い、北京放送を録音したのをを現在まで大切に保管してきた。デジタル化したのですぐ聴ける状態にある。長年BCLをやってきた人でも持っていないだろう。毛沢東の死後も貧民平等主義の毛沢東主義を続けていたら中国はまだ貧乏なままだったろう。しかし毛沢東による抗日戦争の勝利、蒋介石の国民党(その後の台湾)との内戦に対する勝利、という政治的独立がなければ、中国はアヘン戦争の清朝時代のように、外国の政治的経済的干渉を受け続けていただろう。中国の経済発展の基礎に政治的独立がある。未だに米英軍が作った象徴天皇制という占領軍体制のままで、政治的経済的民族的独立を果たせない日本と差がつくのは当然だ。
日本の敗戦直後に決まった象徴天皇制は、英米軍が天皇を使って日本を間接統治するためのシステムであり、それを戦後76年も経った今後も存続させることは、占領軍支配体制(植民地体制)を永続化することにほかならない。第二次大戦の連合国(戦勝国)の米英仏蘭中(台)やキリスト教徒の強力な抵抗にあっても、独立のために日本は天皇制を廃止しなければならない。
皇族のポルノを送信するのをやめろ。アメ公だ。