緊急事態宣言を延長だと?たかが金満オリンピックのためにまた国民生活を縛るのか。家に閉じ込められてみんな疲弊している。どだい外出が禁止されている国に選手を集めて開催しようとするのが非常識。選手はみんな母国に日本のコロナをお持ち帰り。よく考えろバッハの阿呆。「練習を続けてきた選手のためにどうしても開きたい」というなら感染がおさまってきたアメリカとかでやればいいじゃんか。(NY市は7月1日に経済活動完全再開宣言)感染が拡大している今の東京でオリンピック選手に医療のリソースを奪われれば、日本人の患者が見捨てられ死者が増えるだけ。「健康な人体の祭典」のはずのオリンピックが病気を拡大。バッハはドイツのヤソ(キリスト)教会のオルガン弾きだった作曲家のバッハのこと。また神格化。雅子が発達障害だと詐病して公務をサボっていたころ、「二子玉川で外車に乗っている雅子を見た」という目撃談があった。その車はドイツ製の高級車のマイバッハ。ヤソ教音楽=クラシックと車屋のバカドイツのネオナチ。ワーグナーが、アーサー王物語とか、いろんなところからネタをパクってこしらえた、バイキング土人のファンタジー「ニーベルングの指輪」を、ドイツ人は本物の神話と勘違い。神格化して崇拝。神話って、ワーグナーは18世紀の人だけど・・。叙事詩のニーベルンゲンの歌と、ワーグナーの創作したファンタジーのニーベルングの指輪とは全然話が違うんだけど。ワーグナーがニーベルンゲンの歌から時代設定をパクって作ったまったくの別物がニーベルングの指輪なのだけど。金や鉄がどうのこうのとか、剣がどうのこうのとか、「愛の断念」(の思想)とか、「・・の歌」にはまったくでてこないのだが。ワーグナーのニーベルングの指輪は「題名のない音楽会」の右翼の黛敏郎や「N響アワー」の池辺晋一郎が、「オペラ日本書紀」とかを作りそうなのと同じ。黛や池辺の作り話は神話じゃない。最低最悪のポピュリズムがナチの政治。ヒトラーは「ジークフリート師団」とかニーベルングの指輪の登場人物の名を部隊につけて戦争した。それで興奮して銃を振り上げて戦死したドイツ人はバカ、哀れ。大衆文化で無知な下層階級の民衆を焚きつけた狡猾なゲッペルスとヒトラーのプロパガンダ。日本人はオペラ「宇宙戦艦ヤマト」とかを見させられて戦争しないように。「自衛隊イスカンダル部隊」とか作って、ドイツ人のように愚かな侵略をしないように。根無し草で陳腐で軽薄なドイツ大衆文化のポピュリズムのファシズム。
障害者プロレスまであった低劣なプロレスという見世物(スポーツじゃない)に熱中した丸山健士と同じ。恥ずかしい。ナチ時代のベルリン・オリンピックを撮影して美化してナチのプロパガンダに貢献したのが女性映画監督のレニー・リーフェンシュタール。宣伝大臣ゲッペルスの愛人。ナチにとってオリンピックは最高の宣伝材料だった。リーフェンシュタールはニュルンベルク戦犯法定で有罪。戦後映画撮影を禁止されていた。丸山眞男が好きだった指揮者のフルトベングラーもナチのプロパガンダの中心人物として戦犯となったが、ユダヤ人の弟子の助命嘆願で釈放。しかし戦後ほとんど指揮活動することなく消えていった。今もワーグナー(反ユダヤ主義者)とフルトベングラーには邪悪なイメージがつきまとう。フルトベングラーがナチや丸山眞男に選ばれたのは、才能があったからではなく、金髪碧眼だったから。北欧に多い。ヒトラーの優生思想で最も好まれた白人種だから。それだけ。モノクロ写真だとわからないが。
クラシック界に黒人の指揮者や演奏家が存在しない。客席でさえ「クロンボがいる」と嫌がる。クラシックは白人至上主義の音楽以外の何者でもない。それを有色人種の日本の学校で教えるのは非常識。日本人がネオナチやるのは自殺行為。ナチは有色人種排斥の優生思想。もし戦前のドイツにユダヤ人より日本人や中国人が多くいたら、真っ先にガス室に送られ虐殺されていた。中身をドイツ人やイギリス人に入れ替えても、黄色い丸山眞男の肌の色は変えられない。根無し草。ヒトラー以前に「黄禍論」(黄色いわざわい)でアジア人種を排斥したのがヨーロッパ。
障害者プロレス:プロレス興行の前座に演じられていた小人(こびと)プロレスのこと。大人になっても身長が子供のままの小人症の患者が演ずる道化の見世物プロレスのこと。若年期のヒト成長ホルモンの注射で治るようになったので、年配者を除き小人はすでに存在しない。「福祉」などと称し、プロレス界は小人プロレスを正当化していたが、俺は目も当てられなかったし心が痛んだ。それを楽しんでいた丸山健士の幼稚さと非人間性は糾弾に値する。小人プロレスに爆笑し、力道山(朝鮮人)やジャイアント馬場に熱中していたのは主に小学生。論壇では強いが、病弱でひょろひょろの小男の眞男に対し、「父さんもプロレスラーのように強くたくましくあって欲しい」という健士の幼稚な願望の反映。
レスリングがスポーツでも、プロレスは丸山が命名したところの「超国家主義者」の児玉誉士男、大野伴睦、町井久之らが営利の興行として始めた芸能にすぎない。八百長(演技)が当然の見世物芸であって、スポーツではないことがはっきりしている。プロレスは、仕事に恵まれない被差別民や障害者が、神社や寺の祭りで行っていた大道芸人の曲芸やお化け屋敷とまったく同じ底流を持つ芸能。神社や寺の境内でいまでもプロレス興行が行われるのはその伝統から。港区の寺(公園)でもやってる。眞男の息子の健士が超国家主義者のプロレスに熱中したのは皮肉。日本軍の怨念のよう。児玉は、満州の児玉機関という諜報謀略組織の出身の右翼。戦後、冷戦を戦うアメリカが対日政策を変更し、児玉らの右翼を巣鴨プリズン(巣鴨戦犯拘置所)から釈放し、民族主義を捨てさせ反共親米右翼に育てた。これが今の街宣右翼の源流。児玉は日本最大のフィクサーと呼ばれたがロッキード事件で失脚した。町井久之は六本木を根城にした暴力団東声会の韓国人の組長。自民党大野派の大野伴睦は暴力団と深い関係を持った右翼の政治家。岐阜羽島に新幹線の駅を誘致した人物。読売新聞の渡部恒雄(共産党「細胞」出身)は大野伴睦の番記者になってから出世した。大野の死後、大野派は船田派と村上派に分裂し、もはや大野とほとんど関係ない。大野の後継者は大野が育てた中川一郎とその秘書だった鈴木宗男のようだ。
(中川一郎は1983年に北海道のホテルで変死。その26年後の2009年、一郎の息子で財務大臣だった中川昭一(麻布高・東大卒)も変死。昭一の「酩酊会見」が有名だが、酒に薬物を混入されたものとみている)
プロレスについて詳しく書いたのは、スポニチと報知新聞(読売系)が「荒川静香、サングラスで大型バイクにまたがる」とまだ嫌がらせしているため。軟弱で陰険なプロレスファンの記者だろう。これら中村の手下のマスコミや部落の警察官に盗撮され、配信されるため普段外でサングラスか帽子をしている。かつて大型自動二輪免許の取得は試験場で実技試験を受けるしかなく、合格率は数%の難関だった。10回20回と試験を受ける人もいたが、俺は20歳のころ、府中で4回で合格した。今は中型と同じく大型も教習所で取得できるので、女性の大型自動二輪車免許保持者は多い。しかしやはり大型は女性に向いていないようで、立ちゴケや事故が多い。足がべったり地面につくアメリカンタイプが女性向きで、チンタラ走っているのは見かけるが、レーシングタイプを自在に操って飛ばしている女性大型ライダーを一度も見たことがない。世に女性バイクレーサーが存在しないのが大型自動二輪車が女性に向いてない証拠。