中村恭己の実家の寺は杉並区下高井戸の日蓮宗宗源寺。ここの「高井堂」が高井戸の起源になったともいわれる。付近には古そうな竹細工屋さんがある。宗源寺は畠山重忠の一族の江戸重永の孫の吉田宗利=宗源が開いた寺。https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007952.html
畠山氏は桓武平氏秩父氏の坂東平氏で、その一派の江戸氏、豊島氏、河越氏は同族。(豊島氏は「としまえん」〜「白山神社」付近にあった豊島城主の豊島氏と同じ。)一般的に中村姓(歌舞伎役者にも多い。坂東も)は平氏であり、中村恭己も江戸氏系の子孫と思われる。桓武平氏の祖といわれる桓武天皇の母親は百済人の高野新笠であることはよく知られた事実で、現在高輪の仙洞御所にいる前天皇(上皇)もそれをスピーチで認めている。平氏に部落が多いのもまた事実。世田谷城主吉良氏の家臣で世田谷区喜多見を所領(喜多見藩)にした江戸氏(木田見流江戸氏)は宗源寺の江戸重永と同族。喜多見地区は古墳の宝庫で都内でも地価が安価だが、遺跡好きの自分としては、コロナ時代に最適な自転車ミニ旅行で行ってみたいところ。世田谷城主吉良氏は大石内蔵助に討たれた吉良上野介の親戚筋。世田谷区豪徳寺にある世田谷城は、現在は世田谷城阯公園になっており、以前行って調べたことがある。国士舘大のある若林の隣。世田谷ボロ市は世田谷城下の市が起源で付近が会場になっている。古着・古玩具・古神棚・植木の出品が多い。(東急世田谷線上町下車)千葉の漁村を潰して東京ディズニーランドを作った社長として有名な三井不動産の江戸英雄は指揮者の小澤征爾のパトロンで、娘の江戸京子が小澤と結婚してから小澤はトントン拍子に出世した。それだけの人。でもクラシックで重要なのは個人の才能ではなく家柄とコネと流派。江戸幕府を開いた徳川家康が戦闘に使った旗指物には「欣求浄土厭離穢土」((死を恐れず)浄土(極楽)を願い求め、穢れた土(穢土=江戸=現世)を嫌い離れる。)と書かれていた。下高井戸の宗源寺に中村恭己の家の墓があることを知ったのは、中村に頼まれてバイクで連れて行かされたから。宗源寺に入ると、頭が猛烈に痛くなって慌てて寺からでた。長くそれを記憶してきた。別に気にしていない。しかし中村恭己が俺の終生の敵(かたき)なのは確かだ。全部中村が犯人だ。喜多見の江戸氏は喜多見氏を名乗り、喜多見重政が男色家で有名な将軍徳川綱吉の寵愛を受けて綱吉の側用人(そばようにん)に出世し大名となり、喜多見藩主として同地に中野と同様の犬場(犬小屋)を作った。しかし6年後突如改易(藩の取り潰し、没収)され、江戸氏は断絶した。改易の理由は不明だが、悪法化する生類憐れみの令に関し、将軍綱吉に諫言したことが理由だとか、同じく綱吉とホモ関係にあった老中柳沢吉保との政争が原因だったとの見方がある。ドロドロのホモ関係が中村一派と似ている。家の存続を保てず没落した武家は被差別階層に堕ちるのが常。