キリスト教いらない、宗教いらない、静岡いらない。

丸山眞男は宗教の話を振った中村恭己に対し「中村君、(社会科学的に)いろんな分野に関心を持つのはいいが、宗教だけには関心もたなくていいんじゃないかな?中世のスコラ学派がさんざん神の存在証明をやったが証明できなかった。宗教に関心を持つのは時間の無駄だ。ただし、宗教を否定すると、人間は(自律的な倫理判断ができない暗愚な人間は)永遠に堕落する」と言った。丸山家には仏壇も神棚も十字架も一切ない。それは俺がこの目で確認した。また、墓はあるが戒名を否定していて墓に書かれてない。丸山眞男は墓の前で決して手を合わせなかった。俺が出席した「丸山眞男を偲ぶ会」でも、僧や司祭や神主などの宗教関係者の存在も、宗教的儀礼もまったくなかった。花だけが飾られた台に皆で献花しただけで、位牌も焼香台も十字架も榊もなく、宗教の形式ではなかった。

お前らはキリストには従っているのかもしれないが丸山真男には背いている。丸山眞男の後継者というなら無神論者でなければならない。「宗教は阿片である」と言ったマルクスのマルクス主義者でなければならない。お前らキリスト教徒は丸山眞男の正統ではない。

「軍歌の送信」
俺はマルクス主義者じゃない。丸山の後継者じゃない、政治学も社会学もまったくわからない、一度も授業けてない、丸山にも。俺はトレーダーで資本家だ。当たればアメリカへ行く。民主主義国の一般人が特定宗教を信じなければいけないことなどない。思想も信じなくていい。信教の自由=宗教を信じなくてもいい自由と、思想信条の自由=特定思想に染まらず自由に自分の信条に生きていい自由を信じる。丸山眞男は一般市民の政治への関与の仕方として「政治への参加はパートタイマー的な参加でよく、特定政党や特定政治運動への深い関与はよくない」とプロ市民的・学生運動的な政治関与を戒めている。常に政治(宗教)権力を市民として監視することが大切であり、政治参加しろ、政治家になれ、などとは全然言ってない。

また「マルクス主義者になって革命をやれ」などとも言ってない。丸山眞男は社会民主主義者だからだ。だから立場としては自民党でも民社党でもなく民社党でもなく社民党に近い。(本人は社民党を追認してないが)俺は入院中社民党に投票した。

たかが田舎者の静岡や反日キリスト教ごときに命令され皇族と結婚などさせられない。反日異端(地方)勢力に支持された天皇制いらない。民主主義に天皇制いらない。

宗教(キリスト教と皇族)の迫害から逃れる方法は、他の宗教(イスラム教など)に入ることではなく、宗教そのものを否定すること。国家神道に基づく天皇制の否定。神格化された人物の否定。奴隷制や盗聴を容認するのは宗教だけ。自由で人間らしい人生を生きるために、宗教を信じてはいけない。

「スマホと愛子の同化の洗脳。」
静岡公安調査事務所やめろ。たかが田舎の静岡や反日のキリスト教ごときに命令され皇族と結婚などさせられない。

タイトルとURLをコピーしました