オウム島田裕巳、オウム丸山真男、麻原中村恭己。(再公開)

25年前の1995年、オウム事件の直後の放送。
オウム協力学者の島田裕巳の責任を追求する番組。25年間記録保管(アーカイブ)してきた録画を公開。
https://vimeo.com/387655477
(地下鉄サリン事件の4年前、気象大学の文化祭で麻原彰晃と宗教学者の東大の島田裕巳(東京女子大教授)が対談した。それを傍聴した女子大生が、オウムを信用して入信してしまったが抜けられなくなり、女子大生が島田にSOSの手紙を書いた。しかし島田はこれを無視し、自分には責任がないと弁明した。島田がいなければ女子大生はオウムに入ることはなかった。俺にとって、丸山真男が中村恭己の保証人のようふるまっていなければ、中村ピアノ教師に入ることはなかったし、父・大石房男も「丸山眞男さん」に大金を貸すことはなかった。社会的立場と影響力のある丸山夫妻が「中村君のしていることを知らなかった」では済まされない。1996年になって、俺がパソコン通信に書いてから丸山は初めて焦って中村の行状を調べて、その悪行三昧を知り、「若者を拉致して洗脳しゲイのハーレムを作っている中村君の行状が世に知られてしまえば丸山学派はおしまいだ」と危惧し、俺を悪者にして、「自分からドロップアウトした。自分からゲイのセックスを望んだ」などと事実と歴史を捻じ曲げて、責任を回避している。)

番組内で話されている「女子大生がオウムに勧められて父親を入院させた野方の病院で、「退院したければお布施しろ」とオウムにマンションと銀行預金を取られた。」の、野方の病院とは野方駅前にあったオウム野方病院(中野区野方5-30-13)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E9%99%84%E5%B1%9E%E5%8C%BB%E9%99%A2のこと。大内の自宅(中野区野方6-5-3)から140mの距離だ。サリン事件でサリンを散布した実行犯が、少しサリンを吸ってしまい死にかけて緊急に運ばれてきて解毒剤を打って一命をとりとめたのがこのオウム病院だ。

病院には慶応大医卒でサリン散布の実行犯の林郁夫医師のほか、教団幹部の大内早苗(最古参の女性信者。武力部隊白い愛の戦士。福島県出身)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E6%97%A9%E8%8B%97、大内利裕(鍼灸師、モスクワ支部、福島県出身)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E5%88%A9%E8%A3%95がいた。

今から4年前、野方駅前に降りたときに中野区議の大内しんごの看板を見つけた。このへんの大内はみな同族だろうと思い、大内しんごに電話をかけて大内純子について聞いてみた。しかし大内しんごは、大内純子という人物を知らないし、東洋英和に行った親戚もいないと明言した。話し方がべらんめえ口調で少しわざとらしかった。昔大内の家のあった付近には救真堂鍼灸院がある。オウムの大内利裕が鍼灸師で、半盲の麻原も盲学校で鍼灸師の資格を撮っている。オウム病院は狭い横丁にあったけれども、杉並区和田が本部で大病院を経営する立正佼成会信者が多いこのあたりでは、宗教団体が病院を開業することはそれほど奇異ではない。吹奏楽部の甲子園として知られる立正佼成会普門館は和田にあった。東海大中高の吹奏楽部もここと関係があったはず。クラシックに立正佼成会員は多い。中村の生徒の滝沢俊信が立正佼成会員なので、中村は庭野日教の教えとかよく知っていた。

きのうの10:36に北方領土の歯舞諸島で起きた震度4の地震は、このオウム島田の録画を公開してしまおうと思った直後だ。別に地震兵器を持ってるのはロシアだけじゃないと思うけどね。それから今朝関東で大雨だったのは気象大学校について書いたからだろう。公安警察の気象操作(兵器)だろう。

タイトルとURLをコピーしました