高校のクラスメートの池谷に墓参りした。

23歳で亡くなった高校(都立鷺宮)のクラスメートの池谷静輝の寺に墓参りした。寺はアメリカ大使館のすぐ隣にある。最近では寺の名前も墓所の正確な場所も異教徒による盗掘や破壊が考えられ公開すべきではないと考える。池谷は高校卒業後レストランの紅花に就職した。紅花の創業者は中野区出身でアメリカで紅花のチェーン店を成功させた立志伝中の人物のため池谷は紅花就職を選んだようだ。その後池谷はアメリカ店勤続を希望し渡米して働いていた。しかし1987年にNY市場で起きた歴史的な株の大暴落「ブラックマンデー」が起きた日(日経平均は一日で3000円下がった)、株の大損で半狂乱になった自殺願望の女の運転する車に池谷ははねられて亡くなってしまった。正規に米国内で働く労働者だったからだろう、米国政府が池谷の遺体を無料で日本まで運んでくれた。そして葬式が開かれたのがこの寺。池谷は好きで渡米して亡くなってしまって帰国してアメリカ大使館の隣の寺で葬式とは、偶然とはいえよくよくアメリカに縁がある人だと思った。俺は杉並から中型自動二輪を走らせアメリカ大使館横にバイクを横付けし葬儀に参列した。浄土真宗式の葬儀は生まれて初めてだった。葬式には紅花の池谷の同僚のファッショナブルな若者が多数参列していたが学校の友達は俺だけだった。池谷は京都から転入してきた俺に理由はわからないが親切にしてくれ高校では最も仲が良かった。「静輝」という名前なので静岡に関係がある家なのかもしれなかった。池谷家は江戸時代の大商人の大番頭の家柄でこの墓所で最も大きな墓が池谷家の墓だ。池谷が生きていたなら都立高校の同窓生からも攻撃され東京でも孤立するるような事態には至らなかったはずで残念に思う。

大都会の高層ビルの谷間にある池谷家の墓。アメリカ公使館の隣でホテルオークラの大倉集古館のすぐそば。初めて来たときより高層ビルが増えて空が減って暗くなった。

浄土真宗のお経の『正信偈』と親鸞上人の『教行信証序』を墓前で読呪してきた。教行信証の序文『密かにおもんみれば難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり』は名文として名高い。夏目漱石や森鴎外や大江健三郎や丸山眞男などの明治以降の口語の現代日本文学はゴミで親鸞の足元にも及ばない。日本人はゴミの西洋(キリスト教)文化を取り自国の宝を捨てるのをやめよ。

寺の向かいの生垣がアメリカ大使公邸。

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