ダジャレ文学に堕した日本文学と作家というゴミ。

ノーベル賞受賞の大江健三郎を含めバカばっかりの日本の作家の陰謀の手口がわかった。国語辞典を引いて同じ読みだが意味の異なる単語を相互に関連付けるようにストーリーを作っているのだ。それが作家の仕事だと・・日本語をオモチャにして伝統文化を破壊するとはなんという反日。稲荷の狐はコンと鳴く、紺色は藍色のことなので稲荷はバカ愛子だ、というダジャレ文学作家におだてられてをされて調子に乗って、全国の稲荷社が自分の神社だと思い込んで悠仁より天皇になる資格があると妄想して女性天皇革命・部落民革命を画策しているバカ愛子。さらにワーグナーのオペラに稲荷やバカ愛子を登場させてヒトラー天皇になろうとしているバカ愛子。

要するに1996年に大石がパソコン通信のニフティーサーブで、人糞回収業者・人糞肥料業者を示す汚猥屋(オワイヤ・オアイヤ)の表現を使ったところ、水俣病患者を出した問題企業の皇后雅子の母方の祖父のチッソ(新日本窒素肥料=現JNC)と関連づいて、雅子の本名が小和田雅子なので「オワイヤ小和田雅子」とは大石は書いてないが読者がそう読んで広まった。汚猥屋という言葉を知ったのは三島由紀夫の「仮面の告白」(新潮社)の冒頭から。ただ戦前は汚猥屋という言葉は一般的だったらしく戦後も高齢者がオワイヤ・オアイヤというのは普通だったという。この小説は三島のゲイカミングアウト宣言の書なので三島の大ファンの中村恭己に強く勧められたの読んでみて知った。昔皇太子(今の天皇)が言った「雅子の人格を否定するような発言」とは、大石が言ったわけではないが、陰口が好きな御殿女中根性の宮内庁の女に「オワイヤ雅子、オアイヤ愛子」と言われたのだろう。ただしバカ愛子が生まれたのは大石が1996年にパソコン通信で汚猥屋と書いた6年後なので、すでに存命していたバカ愛子をけなすために汚猥屋と書いたのじゃない。愛子と命名したのは天皇と雅子。恐らく伏魔殿宮内庁の宦官役人の仕業。「オワイヤ雅子、オアイヤ愛子」が広まって責任を追及されたのが出版社と作家。ダジャレがうまい大石のせいで業界炎上し廃業の瀬戸際まできて考えたのが大石のダジャレを文学に取り込んで文学の延命を計ること。小学校時代、テレビの「笑点」やドリフターズの「八時だよ全員集合!」でダジャレがブームでクラスメートの三浦孝や土屋といつもダジャレを作って笑っていた。だから文学じゃない。志村けんの笑いは文学じゃない。大石は小学校で生徒副会長に当選したがこれはダジャレ人気のお陰。一言で場の雰囲気を一変させるダジャレのパワー。教室が爆笑するので教師には嫌われていた。

小4のころ三浦孝は神奈川県に転校して以来会ってない。でもダジャレが好きで笑いの才能があったのだろう。三浦は磯子の高校を卒業して三遊亭円歌に入門して真打に昇進して三遊亭歌雀を名乗った。しかし重い糖尿病となり片足を切断して高座に上がっていたが40代で死去した。相模原の東海大付属病院とかで糖尿病を悪化させられ殺されたのだろう。三浦は大石のダジャレ友だちだから雅子とバカ愛子らのヨツ勢力やバカ愛子のパシリの東海大に恨まれたのだ。静岡の地元テレビ局のローカル番組に登場した三浦を見たのが最後になった。それから大石が都内に引っ越してすぐ三浦が死んだ。狂気の天皇皇后の恐怖政治の見せしめだろう。

沢田研二の「我が窮状」という歌。ダジャレ文学の例。

「この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう 我が窮状(九条・宮城) 守れないなら 真の平和ありえない」

沢田研二は田中均の府立洛北高校の隣の鴨沂(おうき)高校の卒業生。だから洛北もダメ。京都は元々公家が多い。

ダジャレ作家なんて早くやめちまえそんな子供だましの仕事。醜いぞ日本文学、もうお前らの命はとっくに終わっている、姑息に延命を計るな。

丸山眞男は右翼が最も敵視する「九条の会」の発起人。マルクス・レーニン主義者の眞男が右翼だなんてことはありえない。しかし東大卒の雅子のせいで東京雅子大学化した東大のバカ学者のせいでいつの間にか眞男が右翼化。日本の学問の程度の低さ。九条の会は窮状(貧困民=部落)の会。宮城(皇居)の会。

「我が窮状」のように読みが同じで意味が異なる単語をこじつけるストーリーを作るのが大江健三郎を含むバカの日本の作家の仕事と。バカ。それをノーベルアカデミーも追認。バカ愛子を文学部に入学させたのも作家。丸山眞男の岩波の『世界』の同僚の東大文学部卒で学習院長の安倍能成。極左の安倍が戦後学習院長となり丸山とともに『世界』で思想をリードしたことが皇室の左翼化と堕落をもたらした。安倍は岩波書店を創った岩波茂雄の親友で夏目漱石の弟子。戦後日本を弱体化させたキーパーソンの一人。パソコンが広まって以来世界で起きているのは科学の長足の進歩とそれについていけない文系の文学や法学や心理学(精神分析学・精神医学)や経済学との差。以前は手計算が必要だった数式の解をパソコンで一瞬で出せるようになったから理系が進歩するのは当然。どんな将棋指しの名人も棋聖ももうコンピューター棋士に勝てないし作家の創る文学作品はもうchatGPTが作る文学作品に勝てなくなった。

都立鷺宮高校は進学率が低く現役で大学に合格したのは東京造形大に合格した大石敦巳と二松学舎大に入った和田の二人だけ。あとはコックにになった池谷や吉田やスジャータ(東京めいらく)に就職した岡野とか。高卒は安月給で酷使できるので中小企業に人気。「まじめな生徒さんを」と教師が頼まれている。岡野も教師の推薦。だがスジャータはブラック企業とか。天理教の会社で社員は強制改宗させられるとか。

和田が二松学舎大を選んだのは和田の地元の安孫子市の大学だから。和田は安孫子に転居してから長時間かけて都立家政の都立鷺宮高校に通学していた。鷺宮高の前身が都立家政学校。高校の名前が駅名になっているのは全国でここだけ。二松学舎は夏目漱石を崇拝する大学らしい。近年東大文学部から二松学舎大に学長が派遣されてる。小和田雅子のうんこ大東大勢力に仕込まれた和田はどうやら文芸評論家になったよう。ダジャレ文学で大石を攻撃。三流大二松学舎大の低偏差値生らしい子供だましの文芸評論家。

大石が通院している北里大研究所病院は北里柴三郎の研究所を併設した病院。だからモルモットにされないよう注意してるが今のところ大丈夫。皇室の圧力でバカ愛子と結婚するよう誘導されたりしてない。

北里柴三郎のずば抜けた才能を東大医学部勢力が妬んでいた。特に作家で医者の森鴎外はさんざん北里の足を引っ張り悪意の攻撃をした。そんな北里を福沢諭吉が助けて私財を投じて作ったのが白金の北里大研究所病院。もともと福沢の別邸(別荘)だった土地。隣にある慶応幼稚舎も。あたりは古川沿いで風光明媚だったらしい。幼稚舎の前の都立広尾病院に行ったときトンボを見た。古川でヤゴ(トンボの幼生)が孵っているのだ。幼稚舎でもプールに湧くヤゴを保護しているそう。古川の上流は「メダカの学校は川の中、そっと覗いて見てごらん、みんなでお遊戯しているよ」の歌のモデルになった渋谷川。メダカは清流にしかいない魚で子供のころの静岡市の河川でも滅多に見かけなかった。古川の水はきれいだったのだろう。

塵埃の愛子は早く消えろ。

芥川はゴミ川のこと。橋のない川。芥川龍之介って本名だから部落でしょ。作家=部落の仕事。

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