うるっせいな!佳子との結婚の強制やめろ。愛子も舛添使って攻撃やめろ。バカ皇室、バカ日本。

舛添に俺を攻撃する記事を書かせたのバカ愛子だ。舛添は俺の株の予想は当たることを谷口から聞いて知っていたと思われ相場が俺が書いた通りになったことについて以前テレビで評価していたが、今になって「経済的合理性も知性もない」と手のひら返して攻撃してきたのは誰かにそういわされていることを示している。バカ愛子とカトリックだ。栄光学園と朝日新聞とテレビ朝日だ。記事は朝日新聞系の日刊スポーツの記事だ。舛添はテレ朝の田原総一朗の番組でデビューした人物だ。朝日=朝の太陽で皇室の意味だが最近では朝日新聞=キリスト教新聞だ。皇室の言いなりの御用学者舛添要一、御用大学東京大学情けない。いやもはやカトリックの雅子の東大、東京雅子大学だ。

さらに舛添の記事で俺を「不動産屋」のように言っているがこれはバブル高値の1990年にローンを組んで田浦のマンションを買った谷口に対し近い将来暴落するから注意するよういったことについていっている。1990年1月将紀の母親の桜子が田浦の新居に合わせて何か絵が欲しいので美大にいっている俺にどの絵を買えばいいかきいてきたが、「暴落するのでやめなさい」と27歳の俺がいったことを(将紀は20歳)、生意気だといまだに根にもっている。このときすでに年初から日本の株価が暴落を始めていてそれが不動産市場と美術市場に波及するのは時間の問題だと思ったからだ。この年美術品を担保にした不正融資事件の住銀イトマン事件が起き美術品も暴落していった。俺は別に不動産に詳しくないし不動産投機をやってない。でも投資家は追証によって生じた株の損を他の投資商品の利益で埋めようとするのが常だから普通は不動産も美術品も株の暴落に連動して下がる。(今回必ずそうなるかどうかは保証しない)このとき父が投資用に持っていた静岡市丸子の土地を売るよう強く言ったので父は俺に言われた通りにした。その後バブル崩壊で不良債権処理に苦んだ銀行と証券と住宅金融公社の住専がバタバタ破綻した。地方の土地はあっという間に下がって父に大変感謝された。

いまここに書かねかればならなくなったのは書かねばバカ佳子との結婚を強制されるからだ。俺はもう天皇制日本と日本人は嫌だ。天皇のこととなるとみんなキチガイだ。病気で許される限り日本から出て移住したい。舛添のような人物でも独裁者愛子と警視庁公安部の言いなりになる。舛添、お前どこが民主主義者だ。日本のどこが民主主義か?天皇制独裁国家ではないか。佳子と結婚強制されるいいがかりをつけられているのはきょうネットスーパーで沖縄産黒糖使用わらび餅(国産きな粉使用)を買ったからだ。きな粉=紀子の子の菓子。佳子の印が沖縄の花だというから。キリスト教に支配された警視庁公安部やめろ。税金浪費して愚にもつかない理由で結婚強制するな。強制やめないなら殺すぞ佳子も愛子も。

2009年ごろ、当時住んでいた清水区の父の家から13年ぶりに上京して東京で一人で遊んだとき、なじみだった西新宿の台湾料理屋「山珍居」で食事した。ここは中村恭己の同級生の材木屋(吉祥寺の荒木材木店)の荒木信一郎に教えてもらった店だ。荒木はどういうわけか俺に親切だった。俺がゲテモノが好きだというとこの店を紹介した。山珍居ではとろとろになるまで蒸した豚の足(トンソク)や焼きビーフンや火鍋がおいしい。中村の家に住まわされていたとき寒い夜バイクで一人で山珍居に来て豚の足を食べて生き返ったような気がした。中村の家では食事が少なく北朝鮮のようにいつも飢えていたからだ。みんな栄養失調のようにがりがりに痩せていた。

2009年、13年ぶりの山珍居で豚の足を食べてから新宿から小田急に乗って小田原から新幹線に乗って帰宅した。翌日報道に「佳子の印は沖縄の花のゆうなに決定」とあった。台湾料理のトンソクを沖縄料理のトンソクと同一視した嫌がらせだ。台湾のトンソクはコラーゲンいっぱいのゼラチン質に包まれており茹でただけの固い沖縄や韓国のトンソクとはまるで違う。関心ある人は値段も安価だから山珍居に食べに行ったらいい。こういうこと税金浪費していつまでもやってる日本の天皇制、絶対にもう必要ない。子供だましの権力だ。馬鹿げている。愛子・雅子・天皇はルカシェンコやプーチンや金正恩と同じただの独裁者だ。

だからこのとき俺が食ったのは台湾であって沖縄じゃないし佳子は台湾人じゃないから結婚の強制はできない。沖縄は佳子の県じゃない。沖縄の人は誰でも皇室が嫌いだ。だからデニー知事が日本ではなく中国に帰属したいといっていたではないか。皇室とは全く別の琉球王朝のあった沖縄は長年中国に札封使を送って関係が深く日本に侵略されないよう中国に庇護を求めてきた。首里城の玉座も天皇のとちがい北京の紫禁城の玉座にそっくりだ。

文章を書いたからと文学賞の押し付けや作家の強制も断る。出版も拒否する。ここに書いてきたことはすべて事実の記録であるからジャーナリズムであってフィクションが前提の文学や小説ではない。だからジャーナリストに対する賞なら受けてもいい。ニュース記事は文学ではないし記事を小説だとみなして文学書として出版することもできない。文学賞を受け取って苦労してここに書いてきた事実を「大石の作り話」「ファンタジー」だとみなされることを絶対に容認できない。

 

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